青山学院大が駅伝に強いのはなぜか 「いい人材を選んでいる」「タイムがいいばかりではない」寮に散見する原晋監督の指導の礎と青学らしさ (2ページ目)

  • 生島 淳●取材・文 text by Ikushima Jun

【「集団」から「個」へのシフト】

 実はそれ以前、青学大はいろいろな意味でにぎやかなチームだった。

「フツーにケンカもありましたし、監督に食って掛かる学生もいましたから」(原監督)

 原監督も当時は40代。学生たちの熱量に対し、倍量の熱で返そうとしていた。とにかく、みんなが元気。ともすれば、そのベクトルがバラバラで力が分散してしまいかねなかった。

 それが強化の方向に力が収束し始めたのは、2012年に出雲駅伝に優勝したあたりからだっただろうか。箱根駅伝出場で喜び、シード権獲得で大騒ぎしていたチームが、いよいよ優勝へのプレッシャーと向き合わなければならなくなった。このハードルはなかなか高い。しかし、青山学院大は軽やかに飛び越えた。どうやって? 原監督は振り返る。

「やっぱり、人材は必要でしたね。意欲をもった世代トップの選手たちが入学するようになって、練習の質がガラッと変わったんです」

 2010年ころまで、青学大は「集団」にフォーカスしたチームだった。「それがベースアップするいちばんの近道だった」と原監督は思い出す。

「走力をアップさせるにも、みんなで頑張ることが大事なんです。だから、朝練習も集団走。強度の高いポイント練習も、全員でこなしていく。集団の構成員が全員で高め合い、そこでチームへの忠誠心、いまの言葉でいうところのコミットメント(関与)する力を高めていったわけです」

 2010年に箱根駅伝のシード権を獲得し、ベースアップができたところに、2012年春、久保田和真、神野大地、小椋裕介といった実績のある選手たちが入学してきた。いずれの選手たちも意識が高く、自然と練習の質が上がっていった。原監督のリクルーティングの腕がさえ始めたのは、このころからだ。

「いいチームになり始めたよね。だって、いい人材を選んでるんだもの(笑)。それはタイムがいいというばかりではないですよ。それ以前は私もタイムを重視しすぎて、青山学院の校風とはちょっと違うかな、という人材に声をかけたこともありました。2010年代に入って、久保田のように天才肌の選手や、神野のようにコミュニケーション力が高い選手、小椋のような秀才肌の選手が入ってくるようになりました。このあたりからかな。"個"が目立つようになってきたのは」

 2012年の新入生、上位5名の5000mの平均タイムは関東の大学でトップ。これは「青学時代」の到来の予兆だった。彼らが4年生になる2016年の箱根駅伝では優勝候補になるだろう−−私はそう予想を立てたが、実際にはそれよりも1年早く2015年の箱根駅伝で初優勝を達成した。

 青学大は初優勝から、いきなり4連覇。原監督は「勝つためにすべきことを徹底しただけです」と語る。

 91回大会(2015年)から99回大会(2023年)までの9年間で6度の優勝は、黄金時代と呼ぶにふさわしい実績である。

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