「いつかは日本に帰りたい」日本女子ハンマー投げに現れた新星、名古屋育ちのマッカーサー・ジョイを知っている? (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by REUTERS/AFLO

【8歳まで名古屋で過ごす】

 日本国籍での出場を認められた2カ月後の昨年4月には、自己記録を66m61まで伸ばし、今年の4月にはアメリカの陸上競技大会で19年間、室伏由佳(当時:ミズノ)が持っていた日本記録を2m12更新する69m89を投げた。

 アジア大会前までに出場した2試合でも好記録を連発。世界で戦うための第一段階の条件となる70m台目前まで迫った。

 そんな彼女の日本での初戦は、今年6月3日の日本選手権だった。そこで63m31を出して初優勝を果たしたが、ミックスゾーンでは流ちょうな日本語と明るい話しぶりで周囲の人たちの度肝を抜いた。

 アメリカ在住の彼女が、なぜ日本国籍を選んだのか経歴を紐解いていく。

 アメリカ生まれの日本人である母親とアメリカ人の父親の間に生まれたマッカーサー。父・エリックさんは、元バスケットボール選手で、日本リーグでプレーをしていた。なおかつ結婚を機に日本国籍を取得し、2006年ドーハ・アジア大会には日本代表として出場した。

 マッカーサーは1999年に生後5カ月で父のチームがある名古屋に引っ越すと、そこで8歳頃まで過ごした。その体験が、彼女のなかには色濃く焼きついていた。

「アメリカではロサンゼルスに住んでいたけど、向こうに行ってからは『いつかは日本に帰りたい』と思っていたし、『どうやったら帰れるかな』とずっと考えていました」

 小さい頃からバスケットボールとテニスを10年間やっていたが、高校に入って陸上を始めると、砲丸投げとハンマー投げに取り組んだ。そして17歳の時、試合に出始めるとすぐに6月の全米ジュニア選手権で優勝し、7月のU20世界選手権にはアメリカ代表として出場した。

 だが、アメリカで競技を続けながら「いつかは日本に」という気持ちが消えることはなかった。「アメリカで1回代表になっていたけど、日本代表になれると知ってすぐに決断した」と笑顔で話す。

「大学生の時はメンタルが弱くて集中できなかったので、今はメンタルを鍛えるトレーニングをたくさんやっている」

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