「怒られるのを覚悟で大八木(弘明)監督の部屋を訪ねました...」 駒澤大・藤田敦史新監督が見た28年間での名将の変化とカリスマ性 (3ページ目)

  • 和田悟志●取材・文 text by Wada Satoshi
  • 岡庭璃子●撮影 photo by Okaniwa Rico

●時代を超えて結果を出し続けられた理由

ーー近年の大八木氏の指導にも通じるエピソードですね。

 そうなんです。だから、大八木は急に変わったわけではなくて、以前からそういうスタイルの指導法を持ち合わせており、私に対してはそういう形で接してくれていました。だから、私も意見を言いやすかったですし、お互いの意見をつき合わせることができました。

 大八木はその時代に合わせた指導、子どもたちに合わせた指導をしてきたからこそ、これほど長く、結果を出し続けられたんだろうなと感じています。私と大八木の付き合いも28年になります。ある程度は、大八木が考えていることなどを理解していると思うので、わりとスムーズに引き継ぐことはできたのかなと思っています。

この記事に関連する写真を見るーー箱根駅伝の総合優勝8回を含め、三大駅伝の優勝は27回と、指導者として相当な実績を誇ります。

 個人的な思いを言うと、次が箱根100回大会なので、ここまでやってきた以上は100回大会までは大八木にやってもらいたいなと思っていました。やっぱり駒澤を強くした功労者ですし、大学駅伝界においても、本当にすごい功労者だと思うんですよ。そういう人間が100回大会まではやるべきだろう、と。

 ただ、ここで区切りをつけるっていうのは、ある意味、大八木らしいなと思いました。三冠を達成して潔く区切りをつけるというのは、すごい決断だなと思います。ひとりの指導者として尊敬します。

インタビュー後編<「2年連続の学生駅伝三冠も大事だけど...」 駒澤大・藤田敦史監督が選手たちの目標に対して伝えた言葉>

【プロフィール】
藤田敦史 ふじた・あつし 
1976年、福島県生まれ。清陵情報高卒業後、1995年に駒澤大に入学。前監督の大八木弘明(現・総監督)の指導の下、4年連続で箱根駅伝に出場。4年時には箱根4区の区間新記録を樹立。1999年に富士通に入社し、2000年の福岡国際マラソンで当時の日本記録をマーク。世界選手権にも2回(1999年セリビア大会、2001年エドモントン大会)出場。現役引退後は、富士通コーチを経て、2015年から8年間、駒澤大のヘッドコーチを務める。2023年4月、駒澤大監督に就任。

プロフィール

  • 和田悟志

    和田悟志 (わだ・さとし)

    1980年生まれ、福島県出身。大学在学中から箱根駅伝のテレビ中継に選手情報というポジションで携わる。その後、出版社勤務を経てフリーランスに。陸上競技やDoスポーツとしてのランニングを中心に取材・執筆をしている。

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