箱根駅伝3年連続区間新の佐藤悠基が語る駅伝観「どの区間をどんな意気込みで走りたいかとよく聞かれたけど、そういうの関係ないからと」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by アフロスポーツ

【駅伝はチームの駒になりきること】

 佐藤は1年時から主力として活躍し、出雲駅伝に出走、優勝に貢献した。箱根駅伝は3区に抜擢されたが、区間に対するこだわりはなかった。

「強ければ、どの区間でも走れるでしょという考えでいたので、走りたい区間もなかったです。よくどの区間をどんな意気込みで走りたいですかって聞かれましたけど、『そういうの関係ないから』と思っていました。駅伝はチームの駒になりきって、その駒を監督とコーチが、どう配置するかなので、最強の駒になれれば意思なんて必要ないんです。与えられた区間で自分の仕事をするだけ。それは当時から今も変わらないです」

 最強の駒になるためには、ハーフを超える距離を走れる力が必要になるが、1年目の箱根は20キロを超える距離の経験がなく、ほぼぶっつけで3区に臨んだ。過去の区間記録を見て、キロ2分55秒ぐらいのペースでということだけ頭に入れて走ると、区間新のタイムが生まれた。

 だが、佐藤の名前が日本中に大きな衝撃を与え、クローズアップされたのは大学2年時の1区での区間新だ。2022年の箱根駅伝で吉居大和(中央大)に破られるまで15年間、区間最高記録だった。

「1区の区間新は、僕が飛び出したように見えたみたいですが、実は大西(智也・東洋大・現旭化成コーチ)についていっただけ。最初のカーブを曲がって少ししてうしろをみたら10m以上離れていたので、そのままのペースでいったら2位との差(4分01秒差)が大きく開いていた。僕の記録は、近年の学生のレベルからすると抜かれるのは時間の問題だと思っていました。吉居君の走りはテレビで見ていましたが、彼の能力からしたら抜いて当たり前だと思うので、抜かれてもなんとも思わなかったですね。僕も先輩たちが作ってきた記録を抜くのをモチベーションにしてやってきたので」

 この1区は佐藤にとって箱根で一番よい走りだったが、箱根の記憶として、最も印象に残っているのは、この快走ではない。3年時の7区区間新でもなく、チームの結果にあった。

「箱根で一番、印象に残っているのは3年の時です。10区時点で7位にいて、このままシード権はいけるなって思って、大手町のゴールで待っていたんです。全然来ないなぁって思っていたら観客の人が『棄権したらしいよ』って教えてくれて。レースは、自分たちが思い描いたプランで進行することができなかったんですが、それでもシードは確保できると思っていました。最後の最後に、最悪のアクシデントが待っているとは思わなかったので衝撃が大きかったです」

 この時、東海大は10区走者が馬場先門(20.1キロ)まで7位で走っていたがラスト数キロで棄権し、シード権を失った。4年時は、予選会から出走し、箱根駅伝への出場を決めた。この時、クローズアップされたのは、佐藤の4年連続区間新という大記録だった。

「4年目の時は、周囲が騒いでいたので鬱陶しいなと思いつつ、多少プレッシャーも感じていました。個人的には(4年連続区間新を)出せたらいいかなぐらいにしか思っていなかったです。監督には、3区か4区、どっちでもいいと言われていました。4区を走れば区間新が出たと思うんですけど、チームのことを考えると1区、2区で厳しくなり、3区もダメだと4区では取り返しのつかないことになる。何かあった時のことを考えて3区に回りました」

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