36歳のマラソン佐藤悠基は「ベテラン」という言葉に違和感 「本気で世界を目指している選手にとって年齢は関係ない」

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by 築田純/アフロスポーツ

2024年パリ五輪のマラソン日本代表の座を狙う、箱根駅伝に出場した選手たちへのインタビュー。当時のエピソードやパリ五輪に向けての意気込み、"箱根"での経験が今の走り、人生にどう影響を与えているのかを聞いていく。

※  ※  ※  ※

パリ五輪を目指す、元・箱根駅伝の選手たち
~HAKONE to PARIS~
第16回・佐藤悠基(東海大―日清食品グループ―SGホールディングス)後編
前編を読む>>箱根駅伝3年連続区間新「どの区間をどんな意気込みで走りたいかとよく聞かれたけど、そういうの関係ないからと」

2019年のMGCでは23位に終わった佐藤悠基(当時日清食品グループ)2019年のMGCでは23位に終わった佐藤悠基(当時日清食品グループ)この記事に関連する写真を見る 箱根駅伝に4年連続で出走し、うち3回は区間新という強さを見せた佐藤悠基。東海大時代から、その行く先が注目されていたが、決めたのは日清食品グループだった。

「僕が実業団を選ぶ際に何を重視したのかというと、レベルの高い練習相手、強いチームメイトがいることでした。東海大では3年までは先輩で伊達(秀晃。元中国電力)さんという強い練習相手がいたのですが、4年時は練習相手がいなくてハードな練習をする時に、ひとりでやるのがキツかったんです。もっと上のレベルにいくにはレベルの高い選手と集団で練習をしたほうがいい。そう思っていたので日清ほぼ一択でした」

 09年入社時の日清食品グループには、学生時代は四天王のひとりと言われた北村聡(日体大・現日立女子監督)、同期では小野裕幸(順大・現前橋育英高監督)らがおり、質の高い選手が集まっていた。

 その頃、マラソンはまったく考えていなかったという。佐藤が初マラソンに挑戦するのは、それから4年後の2013年になる。マラソンを走るきっかけになったのは、何だったのだろうか。

「ロンドン五輪に出た時(5000mと10000m)、男子マラソンを間近で応援していたんです。その時、現地での応援がすごく熱かったですし、走っている選手を見て、カッコいいなと思ったんです。自分もこういう場でやってみたいと純粋に思えたし、自分の心がそう動いているということは、モチベーションがあるということ。それじゃあやってみようと思い、マラソンを始めました」

 初マラソンとなった13年の東京マラソンは2時間16分31秒だった。この時は、タイムを追うよりも別の狙いがあった。

「まず、自分の能力を知るということですね。トラックを走っていた選手がマラソンでどれだけ走れるのか。ほぼマラソンの練習をせずに走ったんですけど、まずは自分がマラソンをするにあたり何が足りないのかを知るレースにしたいと思ったんです」

 この頃は、どちらかというとトラックがメインだった。14年の日本選手権では5000mと1万mで優勝するなど、トラックでは国内で無双だった。本格的にマラソンにシフトするのは16年のロンドンマラソンからになるのだが、佐藤はマラソン強化の難しさを感じていた。

「マラソンを経験していくなかで、自分に足りない要素がわかってくるんですが、それを次の練習やレースに落とし込んで確認するというのがすごく難しくて......。マラソンはトラックと違って年に1本か2本しかチャンスがなくて、検証もレースと同じ回数しかないんです。トラックのようにトライ&エラーを何回も繰り返すことができないので、自分でいろいろわかっていても思うように進まないことが多かったですね」

 それでもコツコツと力を積み重ね、2018年の東京マラソンで2時間8分58秒、総合8位となり、2021年の東京五輪のマラソン男子代表を決めるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場権を獲得した。

1 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る