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パリ五輪でアジア新記録を狙う山縣亮太。意識する「自分の経験値と専門家の知見のリンク」とは? (2ページ目)

  • 宮部保範●取材・文 text by Miyabe Yasunori
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

「将来的には経営視点に立たなきゃいけない」と選んだゼミ

ーーゼミではどんなことを学んでいたのですか?

 僕は2年からスポーツビジネス関係のゼミに入っていました。当時は、一陸上部員でしたが、将来的にはある種の運営視点に立たなきゃいけないと思っていて選びました。ビジネスとスポーツはどういうふうに絡んでいるのか、仕組みを理解する時代だなと思って興味がありました。

ーー大学2年というとロンドン五輪に出場した頃ですね。アスリートとしての活躍の先をすでに見据えていたとは、想像だにしませんでした。それから2年後、山縣選手が4年生の時に人間工学の加藤貴昭准教授(当時)の開いたシンポジウムで、パネリストを務めた山縣選手の話を拝聴しました。今でも先生たちとのやり取りがあるのでしょうか?

 加藤先生の授業は、もちろん取っていました。僕は加藤先生のゼミではなかったんですが、先日もスポーツの話をさせてもらったり、体育会系のイベントやシンポジウムへのお声がけをいただいたりしています。

ーートップアスリートであるばかりでなく、スポーツビジネスのあり方にも思いがあるだけに声がかかるのでしょう。大学卒業後は、セイコーホールディングスに入社されました。進路決定について、どのように考えていましたか?

 日本で競技をさせてもらえる環境を踏まえ、どこに所属するのかを考えると、そもそもいくつかのチームに限られると思うのですが、僕の思いとすれば、既存のチームに他にも可能性があるのではないかと考えていました。

 当時、セイコーには陸上部がなかった。ただ、僕の1学年上のフェンシングの三宅諒さん(ロンドン五輪男子団体銀メダリスト)が、アスリート社員としてセイコーのサポートを受け始めたという経緯はあったんです。


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