2022.07.16

福島千里が明かすメディアの声に涙したわけ。「自分の成長と周りの期待が一致していなかった」

  • 折山淑美●文 text by Oriyama Toshimi
  • 能登 直●撮影 photo by Noto Sunao(a presto)

福島千里にまつわるインタビュー・前編(本人編)

今年1月に引退を表明した陸上女子短距離の福島千里。2010年に出した100m11秒21、16年の200m22秒88は、今も日本記録となっている。現在は順天堂大学大学院でコーチングを学ぶ福島に、改めて現役時代を振り返ってもらった。

※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

陸上女子100m、200mで日本記録を持つ福島千里陸上女子100m、200mで日本記録を持つ福島千里 この記事に関連する写真を見る  高校卒業2年後の2008年には100mで11秒36の日本タイ記録を出し、同年の北京五輪100mに日本女子56年ぶりとなる五輪出場を果たした福島千里(北海道ハイテクAC→セイコー、現・順天堂大大学院)。その後も100mと200mでは日本記録を何度も更新し、五輪3大会と世界選手権に4大会出場して準決勝には3回進出。10年アジア大会では日本女子初の100mと200mの2冠達成を果たし、4×100mリレーでも12年ロンドン五輪で48年ぶりの出場を実現したほか、世界選手権2回出場の原動力となり、長期にわたって日本女子スプリントの歴史を切り開いてきた。今年の1月29日に現役引退を表明した福島は「高校を卒業してから15年もやるとは思っていなかったので、ここまで辞められなかったことにびっくりしています」と笑顔で言う。

 そんな競技人生のきっかけは、参加標準記録B(11秒40)を突破して、北京五輪に出場したことだった。

「11秒36が出る前の年も調子がよかったけど、肉離れをして11秒60止まりだったので。それがなければもう少しいい記録を出せていたかもしれないけど、高校を卒業して2年目の春先に参加標準記録B(11秒40)を突破する11秒36で走ったことで、伸びる可能性を評価していただいて北京五輪に出られたのはラッキーでした。私自身、07年の冬からリレーで北京を狙おうと代表合宿にも参加していたけど、まだ漠然とした意識で世界での自分の位置がわからない状態でした。だから標準記録を破って出た五輪で、1次予選で11秒36を出せば2次予選に行けることもわかったし......。もちろんデータではわかっていたけど、それを肌で感じられたことで自分の世界での位置が明確になった。そこからはもう日本では誰も見ていない世界だったけど自分のなかでははっきりと見えたので、そこで満足しないで頑張れたのだと思います」

 福島の五輪出場は、女子短距離に大きな刺激を与えた。福島自身も09年には100mで11秒24、200m23秒00の日本記録を出し、翌10年には11秒21と22秒89まで記録を伸ばした。その勢いに引っ張られるように、高校時代に福島と競り合っていた髙橋萌木子(平成国際大→富士通)は09年に100m11秒32と200m23秒15(ともに現・日本歴代2位)を出して2種目で福島とともに世界選手権に出場。北京五輪には出場できなかった4×100mリレーも、09年世界選手権に出場して以降、10年アジア選手権で優勝し、11年世界選手権と12年ロンドン五輪に出場と女子短距離に勢いがついた。

 だが福島自身は順調に進化し続けたなかでも、苦しいと思う一瞬があった。10年日本選手権の100mでは11秒30で優勝したが、メディアから最初にかけられたのは「残念でしたね」という言葉だった。「今の状況ではいい走りができた」と感じていた福島は、その言葉に動揺して涙を流してしまった。そして向かい風1.4mの条件で行なわれた200mは、髙橋に0秒01競り負ける23秒57で2位に止まった。

「気持ちの波はあったけど、私は基本的にはずっと苦しいとは思わずにのびのびとやっていました。でもあの日本選手権の一瞬だけは、自分がああいうふうになると思っていなかったのでびっくりしてしまって。100mが終わってからの周囲の雰囲気や空気感、思ってもいなかった反応で、自分の成長と周りの期待が不一致になっていると思いました。それでも200mを走り、3週間後の布勢スプリントの100mでは11秒24で走った。8月にはヨーロッパ遠征にも行って9月のコンチネンタルカップにはアジア代表として出たし、11月のアジア大会では足首を捻挫して苦しかったけど2冠も獲得した。あそこで苦しい思いをしたのは事実だったけど、予定していたレースを辞めることもなく止まらなかったので......。(北海道ハイテクACの)中村宏之先生もいい意味で背中を押してくれたので、そこに関してはすごく感謝していますし、止まることなく走り続けたからこそ今があるのだと思います」

 そんな福島に思い出に残っているレースを聞くと、こう答えた。