「自分のマラソンがわからなかった」と明かす福士加代子が、後輩ランナーに贈る言葉「自分にもっと期待感を持って」
福士加代子インタビュー(後編)
(前編:笑顔で走り続けた23年の陸上人生>>)
今年の1月に現役を引退した、福士加代子さん(ワコール)。インタビュー前編では、陸上を始めてから世界と戦うまでを振り返ってもらった。後編ではマラソンへの挑戦から、これからの女子長距離界への想い、自身の陸上との関わり方について聞いていく。
2013年世界陸上で銅メダルを獲得した福士加代子さん――2008年に大阪国際女子マラソンで初めて42.195kmを走りましたが、マラソンを意識し始めたのは、どういう理由でしたか。
「1万mの記録が出なくなってきて、練習も何かしっくりこなくて『これだけやってこのくらいの記録か。これ以上は伸びないかな』と思って、何か変えなければいけないと思い、ノリみたいな感じで最初のマラソンをやったんです。そうしたらすごいことになって。『最悪でもジョギングの感じでゴールすればいい』と思っていたけど、ジョギングどころかヨレヨレになって......。悲劇のヒロインになってしまいました(笑)」
――あれで「マラソンはもういいかな」とは思わなかったのですか。
「あれではちょっとね。1回目の転倒シーンを見てから、母親がもう私のレースを見たくないとなってしまったんです。それが可哀想で申し訳なくて、『もう1回ちゃんと走らないとダメだな』と思って。あの映像が毎回使われるのも嫌だから、普通にゴールして終わろうと思って始めました。
それから、ちゃんとマラソンをやろうと心を決めたのは、ロンドン五輪にマラソンで失敗して、トラックで走ってからですね。あそこで、トラックで勝負するのはもう厳しいのかなと感じました。それで、どっちのほうが上にいけるのかと考えた時に、「もしかしたらマラソンのほうが向いているかも」と思い始めて、そこから本格的にマラソン狙ってみようと思うようになりました」
――トラックを主戦場にしている時から、「福士選手がマラソンをやれば2時間20分を簡単に突破できる」という期待も大きかったですよね。
「よく言われていたけど、『そんなに簡単には出ないよ』と思っていました(笑)。長い時間を我慢して走るというのが向いてなかったのか、『マラソンは長い』という固定観念をどう外せばいいかわからなかったんですよね。一応、長いジョギングをやり始めたけど、嫌々でしかなくて。小出義雄監督に『マラソンってどうやって走るんですか?』と聞いたら、『ゆっくりでいいんだ。ゆっくり長くいけばいいんだよ』と言われたけど、性格上『それができません!』みたいな(笑)。ゆっくり時間をかければ、長い時間走ることに慣れると言われたけど、途中でお茶をしたり、休憩して帰ってくるとか、そういうやり方しかできませんでした」
――それでも、マラソンには14回出場していますね。
「7回くらい走った時に、渋井(陽子)ちゃんはもう20回くらい走っていたので、『まだ辞められないな』と思って。またどこかで一緒に走れるかな、という思いがあったんです。2013年の大阪国際女子マラソン(4回目のマラソン)はラスト1kmでガメラシュミルコ選手(ウクライナ・15年のドーピング違反で11年8月以降の記録は抹消)に抜かれて2位だったけど、途中まで渋井ちゃんや小﨑まりさんと、走ったのが一番楽しくて。
3人で走っている時間帯は『このメンバーで日本代表として走れたらいいな』とか考えながら走っていました。ライバルというより、戦友みたいな感じですね。マラソンは30kmまではみんなで行こうみたいな展開だけど、それ以降は強い選手が前に行くので、それを肌で感じて『この人すごい!』ってなりました。と、同時に『自分もそこから行けるようになりたい』とも思っていました」
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