自主性の尊重と組織改革で箱根駅伝V。
東海大の黄金時代が幕を開けた
東海大・駅伝戦記 第42回
郡司陽大(ぐんじ・あきひろ/3年)が走り込んできた。
東海大が46度目の挑戦にして悲願の箱根駅伝、初優勝を決めた。
ゴール付近はもう祭り騒ぎだ。4区で活躍した館澤亨次(たてざわ・りょうじ/3年)や、5区で快走した西田壮志(たけし/2年)が涙を流して喜んでいる。苦しかったが全員で勝ち取った価値ある優勝だった。
郡司陽大がトップでテープを切り、悲願の箱根駅伝初優勝を果たした東海大 往路区間、ポイントになったのは、2区、4区、5区だった。いずれもここ数年、結果が出ていない区間だった。昨年で言えば、2区は阪口竜平(りょうへい/当時2年)が競り合いに負け、4区の春日千速(当時4年)はピッチが上がらず、5区の松尾淳之介(当時2年)は区間12位と失速し、往路は9位に沈んだ。
「2区、5区もそうですが、4区はうちにとって鬼門でした」
昨年の反省を踏まえ、今回の箱根前に両角速(もろずみ・はやし)監督はそう語っていたが、逆に言えば、その区間がハマればいい勝負ができるという読みがあった。
だが、今回の2区候補だった阪口が夏に故障し、本格的に復帰したのが11月の上尾ハーフマラソン。距離が長く負担の大きな2区は難しい状態になった。
「全日本(大学駅伝)を終えてから監督に2区を頼むと言われました」
監督の期待を背負って2区に指名されたのは、ロードの長い距離を得意とする湯澤舜(4年)だった。
「2区の長い距離をしっかり走れて、後半も粘れるタイプ」と両角監督はそう湯澤を評したが、本来スピードのある選手はほかにもいた。しかし、2区で湯澤を起用した英断が結果的に成功となり、大きく崩れなかったことで3区以降にうまくつなげることができた。
3区の西川雄一朗(3年)は粘って、5位から4位に順位を上げ、4区の館澤につなげた。
そして4区は、両角監督がもっとも重視していた区間だった。「3区まではおそらくそれほど差がつかない状態でくるだろう。差をつけられるとしたら4区。そして5区につなげる」というのが両角監督のプランだった。そのプラン通り、館澤は快走し、青学大を抜いて2位に上がった。
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