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小池祐貴が自己流調整からの
脱却で進化。短距離界の勢力図が激変する (2ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 中村博之●写真 photo by Nakamura Hiroyuki

「世界ジュニアは、高校3年のインターハイがダメだったから、『次は世界ジュニアだ』と思って1年計画でやったのがうまくいったんです。でも、そこで自分の目標が一旦途切れてしまいました。

 次はシニアだと思ったんですが、日本選手権で結果を出すということに気持ちがあまり向かなくて、自分の中では大学4年で結果を出せればいいから、2年と3年はトレーニングを積もうという考えでした。それでアメリカにも行って経験を積もうとしましたが、うまくいかなくて......。振り返ってみればかなり迷走してましたね」

 中学まで野球をやっていた小池が陸上を始めたのは、立命館慶祥高に進んでから。コーチの指導は受けずに、自分で考えてやるスタイルを取っていた。

 高3のインターハイでは、100m、200mとも桐生に次ぐ2位で、自己ベストは10秒38と20秒89と記録的に大きな差があった。小池が大学2年のときに200mの日本代表は、高瀬慧(富士通)や藤光謙司(ゼンリン)が20秒1台を出すハイレベルな戦いを繰り広げている上に、実績のある飯塚もいる状況だった。自分の立ち位置を冷静に分析できるが故に「一気にトップを目指す」という気持ちには、なれなかった。

「トップに行くには、まだ自分が知らない何かがあるはずだから、それを知りたいというか、知識や経験として手に入れなくてはいけないと思ったので、いろんな物に手を出して勉強をしました。とにかく自分の中に溜めていくうちに何かがわかるはずだと思ってやっていましたが、なかなかうまくいきませんでした」

 そんな気持ちを断ち切れたのが、昨年の夏だった。

「自分の感覚よりも形とか基本的なフォームを重視し過ぎて、『自分のいい感覚って何だったけ』というところまで落ち込んでしまったんです。だから、何かを変えなければいけないと思って、まずは自分以外の目が一番大事だと考えました」

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