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選抜方法の変更に手応え。
瀬古利彦が語る「世界との戦いに必要なこと」

  • 高橋博之●文 text by Takahashi Hiroyuki
  • 甲斐啓二郎●写真 photo by Kai Keijiro

瀬古利彦インタビュー~前編

 1912年のストックホルムオリンピックに金栗四三(かなくり・しそう)が出場して以来、日本でマラソンはオリンピックの人気種目であり続けた。

 64年の東京オリンピックで円谷(つぶらや)幸吉が銅メダルを獲得すると、68年メキシコオリンピックでは君原健二が銀メダルと続いた。

「世界で勝負するのに3年はかかる」と語る瀬古利彦氏「世界で勝負するのに3年はかかる」と語る瀬古利彦氏 そして70年代後半から日本のマラソンは黄金期を迎える。宗茂、宗猛、瀬古利彦、伊藤国光など、希少だったサブ10ランナー(フルマラソンを2時間10分以内で走ること)が次々と誕生。さらに1つ下の世代の中山竹通、谷口浩美らが宗兄弟や瀬古、伊藤らを脅かすかのように走った。そしてバルセロナオリンピックで森下広一が銀メダルを獲得。日本マラソン界に24年ぶりにメダルをもたらし、1つの到達点を見せた。

 女子も世界を牽引し続けた。バルセロナで銀、アトランタで銅と有森裕子が2大会連続でオリンピックメダリストに輝くと、2000年シドニーでは高橋尚子、続くアテネでは野口みずきが、女王にふさわしい走りで金メダリストに輝いた。

 しかしアテネ以後、日本のマラソンは低迷する。

 北京、ロンドン、リオデジャネイロの3大会に走った男女9選手のなかで、入賞したのはロンドン6位の中本健太郎のみ。日本記録も、男子は2002年に高岡寿成がシカゴマラソンで出した2時間6分16秒、女子は2005年の野口みずきのベルリンマラソン2時間1912秒を最後に、10年以上新記録が出ない状況が続いた。

 再び強い日本のマラソンを――日本陸連は東京オリンピックに向けてマラソン選手の選抜方法を見直した。その頂点に位置づけられた大会が、マラソン・グランド・チャンピオンシップ(以下、MGC)だ。

 6月15日、瀬古利彦マラソン強化・戦略プロジェクトリーダーは、東京都内でMGCコース発表の会見席上にいた。MGCは東京オリンピック前年の2019年9月15開催が決定。スタートとゴールが明治神宮外苑周辺になるということ以外は、オリンピックのマラソンコースと同じコースを走る。

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