【月報・青学陸上部】3連覇達成のウラに
4年生たちの固い絆があった (4ページ目)
「10月と11月の前半はヒドかった。夏季合宿で走り過ぎて、調子が上がり切らなくて逆にどんどん落ちていったんです。CPK(クレアチンフォスフォキナーゼ、心臓ほか筋肉の中にある酵素)が高くなって、貧血にもなった。ホント、世田谷ハーフまではボロボロの状態でしたが、そこで結果が出てから変わりましたね。12月の富津合宿も昨年はここで調子を落としてしまったんですけど、今回は逆に調子を上げられた。監督に選ばれたら、『ある程度は走れるな』っていうのをアピールすることができたんです」
池田は、数名の故障者が出る中、淡々と調子を整えていった。2区の一色、6区の小野田勇次は早くから決定していたが、9区の池田も12月半ばにはほぼ確定していたという。
1月3日、9区、初の箱根駅伝を池田は走った。それは、4年間の集大成であり、競技人生最後の走りだった。
「ホント夏季合宿からこの箱根まで山あり谷ありでしたが、安藤には感謝しています。あの時、安藤が厳しい言葉を言ってくれたから僕はがんばれたし、今があると思うんです。何も言われていなかったら、きっと箱根のメンバー外になってかなりフテッていたかもしれないですね(笑)」
安藤は、池田以外にも調子が上がらず、チームに暗い雰囲気を漂わせていた秋山雄飛に対しても「今のお前には誰もついてこないぞ」と厳しい言葉を投げ、奮い立たせた。チームを少しでもよくするためにキャプテンとしてチームメートにあえて厳しい言葉を投げる役割を自らに課し、実行したのだ。
その姿を池田も見ていた。
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