杉浦佳子はパラサイクリングの
メダル候補「みんなの笑顔が力になる」

  • 星野恭子●取材・文 text by Hoshino Kyoko
  • 浅原満明●写真 photo by Asahara Mitsuaki

 開幕まで1年を切った東京パラリンピック。活躍が期待される一人が、自転車選手の杉浦佳子(楽天ソシオビジネス)だ。国際戦デビューからわずか2年ながら、数々の大会でメダルを獲得して、昨年にはロード競技で世界女王にも輝いた。

 今年6月には「2019日本パラサイクリング選手権・ロード大会」でも好記録で優勝。会場は、東京パラリンピックでも使われる、富士スピードウェイ(静岡県)だった。

しっかりとコースを体と頭に入れてレースに臨む杉浦佳子しっかりとコースを体と頭に入れてレースに臨む杉浦佳子「パラリンピックと一部(コースが)重なっているので、お金を払ってでも走ってみたかったんです。『好きかも』って思えたのは、メンタル面でもプラス。『東京パラリンピックが見えてきたな』と、手ごたえを感じるレースになりました」

 晴れやかな笑顔で、快心のレースを振り返った杉浦に勝因を尋ねると、前日に行なったコーチとの試走を挙げた。「初見のコースでは、コーナーをどう曲がったらいいか分からないんです。コーチに前を走ってもらい、動きや指示を必死に覚えこみ、試合ではそれを思い返して走るんです」

 ブレーキをかけるべきか、どのくらい自転車を傾けるべきかなど自分では判断がつかないという杉浦にとって、コーチとの試走による、「コース攻略の台本作り」は欠かせない練習だという。

「以前は、考えずに曲がれていたと思うんですけど......」

 1970年静岡県に生まれた杉浦の毎日は、2016年4月に一変する。薬剤師として働きながら趣味でトライアスロンに取り組んでいたある日、知人に誘われ練習の一環で出場した自転車レース中に転倒し、大けがを負う。脳挫傷、外傷性くも膜下出血、頭蓋骨や右肩の複雑骨折、三半規管の損傷......意識不明の重体から奇跡的に一命はとりとめたものの、高次脳機能障がいが残った。今も右の腕や脚にまひがあるほか、とっさの判断などが苦手だという。

 事故直後の医師の診断は、「今後、普通の生活は難しいかもしれない」という厳しいものだった。会話もままならず、認知症の診断テストも0点。家族に対してさえ、「どちら様ですか?」と尋ねたこともあった。

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