リオパラ金のエリー・コール。東京パラへ向けて「今、伝えたいこと」 (2ページ目)

  • 瀬長あすか●取材・文 text by Senaga Asuka
  • photo by X-1

 毎日楽しみながら泳いでいたエピソードは、オーストラリアの多くの水泳選手と変わらない。ただ多くの水泳選手とただひとつ違うのは、彼女が片足で泳いでいたということだ。

 2歳で神経のガンを発症し、3歳で右足の大腿部を切断。抗がん剤治療で髪の毛も眉毛も抜けたが、まだ幼かったために病気の記憶はない。水泳は脚を切ってわずか6週間後、リハビリとして始めた。

 双子の妹と一緒に水泳のレッスンに通ったが「まるでダメだった」とエリーは言う。

 当時の動画が残っているが、左右の足の長さが違うため、水をかくと円を描くように体が回転してしまうのである。「テクニックはないし、ばしゃばしゃと水しぶきが上がっていて。どう見ても妹の方がうまくて、最初はレッスンに行くのが本当に嫌だった」

 それでも、水のなかで泳ぐことで、もう一度体の使い方を習得していったエリー。ひととおり泳ぎをマスターした後、水泳を続けるつもりはなかったが、母に「一度だけやってみたら」と連れて行かれた、選手育成のグループレッスンに楽しさを見出した。

 その後、パラの選手としての道を本格的に歩み出したのは12歳のとき。泳ぐことは好きだったが、健常者の試合に出てもなかなか勝つことができず、学校単位の代表選手にもなれない。そんな彼女を見ていた体育教師がある日、エリーに言った。「パラリンピックって知ってる?」。そのとき初めてパラの世界を知り、驚いたエリーだが、自分と同じ一本足のスイマーと競ってみたいとビクトリア州の大会に出ることを決めた。

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