パラ陸上の鉄人から後輩にエール「向かい風はそのうち追い風になる」
先ごろ引退を発表した、パラ陸上・車いす短距離界のスペシャリスト、永尾嘉章さん。国内屈指のスプリンターとして第一線を駆け抜け、「やっててよかった」と話す陸上人生には、どんな人との出会いやターニングポイントがあったのか。この30年間の歴史を振り返ってもらった。
53歳で臨んだリオパラでもまだまだ世界と戦える姿を見せた永尾嘉章氏 1988年のソウル大会から7度、パラリンピックに出場した永尾さん。5歳でポリオ(小児まひ)を発症。両足が不自由になったが、高校時代に車いす陸上を始めた。国際大会で初めて金メダルを獲得したのは、今から35年前、19歳の時のこと。国際ストーク・マンデビル大会(※)の、コース上に置かれた旗門を指定された方法で通過した時間を競うスラロームという種目で、世界新記録を出して優勝した。永尾さんはこの時のことを、「初出場でしたが、とくに浮足立つこともなく走れたことを覚えています。このころから怖いもの知らずだったのかなぁ」と笑って振り返る。
※パラリンピックの原点とも言われる歴史ある大会
実は当時、陸上だけでなく車椅子バスケットボールの選手でもあった永尾さんは、なにげなく見に行った陸上競技で衝撃を受けたという。
「87年の国際ストーク・マンデビル大会は車椅子バスケットボール日本代表として出場しました。この大会はいくつかの競技・種目が開催されていたので、空き時間に陸上を観戦に行ったんです。すると、当時のトップランキングの選手や、(のちに「パラリンピックの鉄人」と呼ばれる)スイスのハインツ・フライがレースをしていて、『うわ、なんて格好いいんや!』と、彼らのスピードとパワーに釘付けになりました。速い人を見たら一緒にやりたくなる性分だから、"勝負したい!"と思いました」
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