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1964年の日本代表選手は
「パラ出場の自信で顔つきも変わった」 (2ページ目)

  • text by Sportiva

伊藤数子氏(以下、伊藤) パラリンピックが終わって大分に戻り、就職をされました。義肢装具師という仕事を選んだのはなぜですか?

須崎勝己氏(以下、須崎) 選択肢がなかったんです(笑)。もともと職人気質でしたから、作ること、手を動かすことが好きだったのもあります。大工のときは親方の徒弟制度だったから、何もなかった時代でした。だから義肢装具師になってから給料5千、6千円をもらえたときはうれしかったですよ、初めてでしたから。

 入院しているときの写真と、働いてからの写真は全然顔が違うんです。やっぱり自信が出てくるのか、顔が変わるんですよ。病院にいるときは、退院してから仕事はあるんだろうか、親に迷惑をかけたくないとか考えていました。寝たきりではなく仕事に就けたのも、中村先生のおかげだと思っています。

伊藤 職場にはほかにも障がいのある方がいらっしゃったのでしょうか?

須崎 最初、私と車椅子の方々と3人で一緒に入ったのですが、ひとりまたひとりと辞めて最後は私だけになりました。

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