スキーしかしてこなかった里谷多英がセカンドキャリアでも成功できたわけ 36歳での再出発には「Excelの教室にも通った」 (2ページ目)
わからない言葉は全部ノートに書いて、あとで調べてみると、「ああ、なるほど。これは普通に存在する言葉だったんだ」とか、「私が無知なだけだったんだ」とか、日々勉強でした。
――競技をしていたときとは、また違う大変さがあったわけですね。
里谷 スキーでは自分のことだけ考えていればいいし、何かあっても「だって、自分の体が一番大事だから」って言えたのですが、会社ではそんなこと言っていられない。そのイベントを成功させるためにみんなで努力するわけだし、そこには責任もある。自分だけの問題ではないので、そういうところは全然違うし、やっぱりこの仕事のほうが大変だなと思います。
――やめたいと思ったことはありませんか。
里谷 全然ないです。最初はすごく不安に思っていたのですが、職場環境や人にも恵まれて、めちゃくちゃ楽しかったですから。
私は今でもスキー仲間と集まるし、たぶんこのメンバーとは一生仲がいいんだろうなって思いますが、今の部署に来てからの10数年間も本当に人に恵まれて、助けてもらうことが多かった。36歳で仕事をし始めているので、わからないことのほうが多かったけど、嫌にならずに楽しく働けたのはやっぱり人間関係が大きかったんじゃないかな、と。すごくいい職場に行かせてもらったなと思います。
――今まで携わってきた仕事のなかで、印象に残っているものはありますか。
里谷『オダイバ恐竜博覧会』では、子どもたちが楽しそうに体育座りで待っていたりするのがかわいくて、印象に残っています。あとは、『シルク・ドゥ・ソレイユ』の日本公演などもイベント事業局がやっていて、100万人以上も動員するイベントに携わっていると、うれしくなりますね。みんなが楽しみに見に来てくれて、「楽しかったね」って言って帰っていく姿を見ていると、そこにいるのが誇らしく思えます。
――トップアスリートの方は、セカンドキャリアで苦労するケースが多いと聞きます。その点、里谷さんは成功されているひとり。何か成功の秘訣などはありますか。
里谷 何か失敗して、大変だな、つらいなと思うことがあっても、わりとどうにかなるというか、(自分自身で)克服できるものだっていうのはあります。その一瞬一瞬はつらかったとしても、それがずっと続くことはないので、最初うまくいかなくてもちょっと続けてみたら、楽しくなったりもするよって思います。
――トップアスリートだったプライドが邪魔をして、なぜ自分がこんなことをしなければいけないのか、と思うことはありませんでしたか。
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