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「どれだけ年齢のことを聞いてくるんだよ」と窪木一茂 年齢を超越する競輪への意欲と集大成となるロス五輪への覚悟 (2ページ目)

  • text by Sportiva

【人生を決定づけた光景】

 窪木と自転車競技との出会いは前述のとおり高校1年生の時。最初の衝撃を今でも鮮明に覚えているという。

「高校では一流に触れたい、高い目標を持ってやりたいと思って部活動を探していて、自転車部であればそれを叶えられると思って体験入部に行ったんです。そこでふたつ上の先輩(我妻敏/現日本大学自転車部監督)がローラーを漕いでいて、たまたまその先輩が青白赤ベースの『JAPAN』と書かれたジャージを着ていたんです。当時全国1位の方だったんですが、その先輩に憧れて自転車部に入りました」

 トップクラスで活躍したいという強い意識を持って見学に行った窪木にとって、ナショナルチームのジャージはひと際輝いて見えた。そしてこの光景が、彼の人生を決定づけた。すぐに入部を決断した窪木は、「高校3年間は日の丸のジャージを着たいという一心で頑張っていました」と言うように、高みを目指してトレーニングを積んだ。

 現在窪木は中距離種目を主戦場としているが、当時は長距離種目でも活躍。3年時には全日本ロードレースのジュニアの部で3位になると、ジュニア日本代表に選出され、念願だった「JAPAN」のジャージに袖を通した。

 さらにその夏にカナダで開催されたジュニアの世界大会「ツール・ド・ラビティビ」の最終日に優勝を飾ると、一気に期待の若手として注目を集めた。「これを機に大学進学の話も、自転車のサポートの話も舞い込んできた」という。

自己分析をしながら冷静に過去を振り返る窪木 photo by Manabu Takahashi自己分析をしながら冷静に過去を振り返る窪木 photo by Manabu Takahashiこの記事に関連する写真を見る 進学した日本大学では自転車漬けの毎日を送った。「とにかく厳しかった」という練習を必死にこなしつつ、空いた時間で水泳の指導、蕎麦屋の店員、温泉施設の受付などでアルバイトも行なっていた。

 またナショナルチームでも活動し2012年のロンドンオリンピックを目指していたが、「選考順位で3番目だった」窪木は落選。しかし自身の伸びしろを確信し、「国際試合を経験させてもらって、そのきらびやかな世界を体験したことで、次のリオ(デジャネイロ)オリンピックを目指したい」と、大学卒業後も競技を続けることを決意した。

 選んだ道は和歌山県職員。いくつもの要因が合致しての選択だった。

「2015年に和歌山で国体があって2016年にリオオリンピックがありました。高校3年の時の日本代表の監督(三浦恭資)が大阪にいて、その方に大阪のほうに来れば、練習も見ることができるし、国体を目指しつつオリンピックも目指せると教えてくれました」

 働きながら競技にも真剣に打ち込める環境があったことから、関西に拠点を置くことを決意。「やるからには覚悟を持って取り組もう」と朝から夕方まできっちりと業務をこなした後にトレーニングに励む日々を送った。その結果、国体ではロードレースで優勝し、リオデジャネイロオリンピックでは中距離種目のオムニアムの日本代表として初出場を果たした。

 結果はオムニアムで14位。「全然力が及ばなかった」というが、意欲が衰えることはなかった。

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