競輪・犬伏湧也、苦難の果てに3度目で養成所合格 今永昇太の衝撃、大学中退、1年間の就職、涙した日を語る (3ページ目)
野球でも才能を発揮していた犬伏 photo by Takahashi Manabuこの記事に関連する写真を見る
【3度目の試験で合格】
しかし事はうまく進まなかった。競輪の経験がなかったため、10月に実施される日本競輪選手養成所への試験を1年見送ることにした。そこから1年間、懸命に努力をしたが、翌年の試験には合格できなかった。自分の決断が正しかったことを証明するためにも、そこで諦めるわけにはいかなかった。
「僕はそのとき20歳を超えていたので、社会人として生活面もちゃんとしていかないといけないと思いました。きつい練習が終わって、そこからバイトに行ってという生活をしていて、一番きつい時期でした」
しかし無念にも2回目も合格者リストに名前はなかった。
「結構ショックでした。2回目の試験のときはタイムもめちゃくちゃよくて、自分のなかでは手ごたえがあったんですけど、それでも落ちたのはやっぱりしんどかったです」
養成所の試験は自転車による走行タイムだけではなく、筆記試験や作文、面接などがある。それらを総合的に判断して合否が決定される。スピードには自信があっただけに、"なぜ"という言葉が何度も頭に浮かんだ。「一番きつい時期」を送ってきたなかでの不合格に、犬伏は「心が折れた」という。
「もう1年、このしんどい生活をしないといけないのかと考えると、就職したほうが生活面では安定するので、競輪選手になることを1回諦めました。この生活がいつまで続くんだろうというのが一番きつかったですね」
犬伏はジムのパーソナルトレーナーの仕事に就いた。そこから1年間はいち社会人として働いていたが、どこかで競輪選手を諦めたことに対する後悔があった。「俺はこのまま終わっていくのかという感覚があった」という。そんなとき偶然、小倉と出くわした。
「『もう1回挑戦してみろ』と言われました。僕の仲のいい同級生で蒋野(翔太/徳島・115期)がいるんですが、彼からも『もう1回競輪選手を目指したらどう?』と誘いがありました。それで目指そうと思いました」
犬伏はトレーナーだったこともあり、就職しているときにもみっちりトレーニングを積んでいたため、ある程度フィジカルは維持できていた。そうして最初の試験から3年後の24歳のとき、ようやく合格の知らせを受けた。その瞬間、涙があふれ出た。
「うれし泣きはそれまでしたことはなかったんですけど......」
犬伏はそう言って笑顔を見せた。こうして晴れて競輪選手への門を叩くことができた。
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