検索

【平成の名力士列伝:普天王】「アマ横綱」の実力と「ブログ」での発信で新たなファン層開拓に貢献した個性派力士 (2ページ目)

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

【相撲人気の開拓に一役買ったブログ更新】

 そんな普天王が土俵外で大きな注目を集めたのが、角界初の「ブログ力士」となったことだ。サイバーエージェントの社員と知り合って勧められ、平成17(2005)年2月、Amebaブログに"現役力士「普天王」どすこい大相撲日記"を開設。毎日のように更新を続けた。朝青龍から殊勲の星を挙げたのは、そんなブログを始めて約半年後のこと。その晩、普天王は勝利の喜びをこう書き込んだ。

「なんつうか、その・・・あざーーーっす!!! 泣きはしませんよw このブログ見てくれる人が増えて、それによって自分も頑張ることができて。。。あ、あ、あ、あざーーーっす! ありがとうございます m(__)m」

 まだSNSは発達しておらず、ネットでの個人発信の場としてブログを始める人が相撲に限らずほかの世界でも少なかった時代に、力士自身がこんなふうに自らの言葉で思いを伝えることは貴重で、新鮮だった。日常生活の様子などもつぶやいた内容は、リアルな大相撲の世界を多くの人に知らせ、新たなファン層の拡大にもつながった。

 だがその後、土俵のほうではケガや病気もあって苦戦が続き、三役返り咲きも再度の三賞獲得もならず、十両から幕下へと陥落。結局、関取復帰を果たせないまま平成23(2011)年5月技量審査場所前に引退を発表した。しかし、その間もブログの更新は続け、苦しい気持ちを率直に吐露した言葉がファンの心に響いた。

 引退相撲は「ニコニコ動画」で、やはり当時珍しかったインターネット生中継。稲川親方となって以降、ブログは「元普天王 稲川の日々」として継続し、やがてTwitter(現X)でもこまめに発信を続けていた。

 その後、力士の発信による不祥事があって相撲協会が協会員のSNS使用を禁止したため、今では行なっていない。しかし、現在、木瀬部屋の部屋付き親方として弟子たちを指導したり、夏の相撲部屋開放で子どもたちと接し、相撲中継に登場すれば、その解説は快活でわかりやすいもの。

 今後も相撲の魅力を広く、一般に向けて発信する場での活躍が期待される。

【Profile】普天王水(ふてんおう・いづみ)/昭和55(1980)年8月28日生まれ、熊本県玉名市出身/本名:内田 水/所属:出羽海部屋/しこ名履歴:内田→普天王/初土俵:平成15(2003)年1月場所/引退場所:平成23(2011)年5月技量審査場所/最高位:小結

著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

2 / 2

キーワード

このページのトップに戻る