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【平成の名力士列伝:勢】甘いマスクと美声の「華」ある力士が貫き通した愚直なまでの相撲道

  • 荒井太郎●取材・文 text by Arai Taro

勝敗よりも内容にこだわり続けた勢は、故郷の大阪場所では特に大きな声援が送られた photo by Jiji Press勝敗よりも内容にこだわり続けた勢は、故郷の大阪場所では特に大きな声援が送られた photo by Jiji Press

連載・平成の名力士列伝34:勢

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、勝ち負けにとらわれずに自らの相撲道を最後まで貫き通した勢(いきおい)を紹介する。

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【多才な素質を試しながら縁により導かれた力士の道】

 長身で甘いマスクの勢は、長らく幕内上位で活躍した華のある力士であり、特に地元・大阪の3月場所での人気は絶大だった。マイクを持てば角界随一の美声の持ち主であり、クラブを握れば"シングルプレーヤー"の実力派。中学卒業後は角界入りか、プロゴルファーの道に進むか、迷ったほどだ。

 実家は寿司屋を営み、宴会場に置いてあったカラオケセットで幼い頃から歌に親しんでいた。両親の影響もあって、よく演歌を歌い、常連客からの評判も上々。後年、人気力士となる素養はこの頃に培われたのかもしれない。特に山本譲二の曲は十八番であった。

 相撲を始めたのは小3の時。体が大きかったことから、勧められるままに地区のわんぱく相撲大会に出場すると、いきなり優勝して地元の道場に誘われ、本格的に相撲に打ち込むことになった。同じ道場では同学年でのちの豪栄道とともに汗を流し、小4で出場したわんぱく相撲全国大会では準優勝に輝いた。小5の時、実家の寿司屋に客とともに先代の伊勢ノ海親方(元関脇・藤ノ川)が来店し、それからは幾度となく角界入りを勧められていた。

 中学進学後も全国上位クラスの実力を発揮していたが、卒業後に入門することはなかった。高校にも進学せず、この間は実家の店の手伝いをする傍ら、ゴルフの腕を本気で磨くために打ちっぱなしにも通い、自分が進むべき進路を模索していた。相撲からは3年間離れていたが、のちに本人は「無駄ではなかった。自分にとっては貴重な3年間だった」と語っている。

 平成17(2005)年1月、急逝した祖母の葬儀に伊勢ノ海親方が参列したことがきっかけで角界入りの意志を固め、同年3月場所、18歳で初土俵を踏んだ。3年のブランクがあったものの190センチを超える長身に恵まれた素質で、入門から1年あまりで幕下に昇進。幕下は約5年半と時間を要したが、師匠が停年となる最後の場所で関取昇進を決め、恩返しを果たした。

 幕下で長く燻っていたが、新十両場所で優勝すると翌場所も10勝。十両はわずか2場所で通過し、平成24(2012)年3月場所、25歳で新入幕となった。同じ昭和61(1986)年度生まれの稀勢の里はすでに大関に昇進し、豪栄道や栃煌山も三役を経験していたが「体つきも違うし、何もかもが違う。比べることは意味がないし、自分は自分と思って焦らずにいこうと思っていた」と意に介さず、右を差して前に出るというシンプルな自分の相撲をひたすら追求していくだけだった。

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著者プロフィール

  • 荒井太郎

    荒井太郎 (あらい・たろう)

    1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。

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