【平成の名力士列伝:千代大海】昭和的な武勇伝そのままに平成の土俵でツッパリ続けた名大関 (2ページ目)
【劇的な初優勝劇から息の長い大関へ】
ケンカで鍛えた勝負度胸がいかんなく発揮されたのが、関脇4場所目の平成11(1999)年1月場所。1敗で単独首位の横綱・若乃花を1差で追って迎えた千秋楽、直接対決を突き落としで制して2敗で並んだ。優勝決定戦では、押し込んだ土俵際で引かれて、ほぼ同時に土俵を飛び出した。軍配は若乃花に上がったが物言いがつき、取り直しに。今度は若乃花に左四つに組み止められたが、強気に前に出て寄り倒し、初優勝を果たして大関昇進を果たした。
優勝決定戦での取り直しという史上初の展開に加え、入門前、やんちゃだった頃のエピソードがテレビのワイドショーなどで広く報じられ、「ツッパリ大関」の誕生に日本中が沸き立った。
その後も2回の優勝を果たすなど強豪大関として活躍し、横綱昇進を目指しながら果たせないまま土俵を務め続けるうちに、若い頃とは一味違う、ベテラン大関としての味わいも備わってきた。心の支えとなったのが、同じ大関で4歳上の魁皇だ。
力が衰えてなかなか優勝争いに絡めず、横綱昇進も難しくなってきた頃、「お前が老け込むのはまだ早い」との励ましを受けて土俵に上がり続け、大関在位の史上最多記録を更新。65場所務めた末についに陥落した平成22(2010)年1月場所3日目、その魁皇に敗れた一番を最後に、突っ張り一筋の、18年間の土俵生活に別れを告げた。
引退から6年後の平成28(2016)年、師匠の急死に伴って九重部屋を継ぎ、現在は九重親方として後進の指導にあたっている。時代は平成から令和に移り、かつての「九州の龍二」のようなやんちゃな新弟子は姿を消し、他のプロスポーツと同様、相撲経験者の入門が主流となりつつある。しかし、新弟子がプロの厳しさを知り、挫折を味わいながらも乗り越え、一人前の力士として成長することに変わりはない。
誰よりも濃密にそんな経験をした千代大海は、昭和の伝統を令和に受け継ぎ、魅力的な弟子を育てるべく、奮戦を続けている。
【Profile】千代大海龍二(ちよたいかい・りゅうじ)/昭和51(1976)年4月29日生まれ、大分県大分市出身/本名:須藤龍二/所属:九重部屋/初土俵:平成4(1992)年11月場所/引退場所:平成22(2010)年1月場所/最高位:大関
著者プロフィール
十枝慶二 (とえだ・けいじ)
1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。
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