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松山恭助を襲ったパリ五輪本番前のアクシデント 団体戦までの3日間「ズタボロだった」状態で考えたこと (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

――自分のなかでは絶好調ではないという気持ちがあるから、それを全部受け入れて進むしかないということですね。

 そうですね。本当にパリは個人も団体も本調子じゃなかったです。周りにはあまり言っていませんが、4月にヘルニアで腰を負傷してからはリハビリと練習をずっと同時並行でやるしかなかった。五輪でも個人の前日に急に腰が痛くなり、体のなかのバランスもおかしかった。試合当日はまだ大丈夫でしたが、そういう難しさありました。

 でも、今の自分が持っているベストを出す練習を、日頃から一番心掛けてやってきていました。ある時、コーチに「お前がベストを出せば、五輪でも絶対メダルを獲れることはこれまでの試合で証明している。でも、もしかしたらベストではない朝を迎える可能性もある。それでもメダルを獲りにいかなくてはいけないし、絶対に逃げてはいけない。どんな状態でも五輪には行かなくてはいけないし、それでも戦える準備をしないといけない」と言われていました。

 そこからは練習のなかで、自分の全部を出し切るよりも、疲労や痛みがあるなかでも今の自分ができることに最大限集中する、できることとできないことを取捨選択して、今持っているものを出し切るという練習を3カ月ぐらいやってきていました。

 五輪の時は本当に調子が悪かったしダメだったけど、今できることをとにかくやるしかないという取り組みが、トータルで見たら実ったと思うので、すべてそういう練習の賜だと思っています。

【個人の金は次へのお預け】

――団体戦はカナダに45対26で圧勝し、準決勝のフランスは45対37、決勝のイタリアも45対36と強かったですね。

 初戦で一人ひとりが目の前の1点1点に集中してバトンを繋ぎ、それが結果的に勝ちに繋がるという意識を共有できました。フランス戦は途中までまさに死闘でしたが、向こうが先に痺れを切らしたところで、こっちは淡々と点を稼いでいって離れたという感じでした。

 僕も23対23で受けた2試合目の(エンゾ・)ルフォール戦は「絶対にターニングポイントになる試合だ。ここはお互いに取りにいくので絶対に点数が動く。どちらかが30点に乗せるな」と思っていて、自分の五輪のなかでは一番大事な試合でした。そこで7本取って30対27にしたのが勝因でした。

 もし負けて3位決定戦に回ったら精神的にもきつくなるから、メダルを獲りにいくならここは全部ぶち抜かないと、という意識でした。本当に無我夢中で。そこを乗り切ったあとは、決勝が終わるまで集中が切れなかったですね。

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