【平成の名力士列伝:若乃花】人懐っこい性格と「小よく大を制す」相撲で人気を博した若貴の「お兄ちゃん」横綱 (2ページ目)

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

【弟・貴乃花と異なる輝き】

 若貴兄弟は、入門当初から、弟の方が素質は上で、弟は横綱になれるが兄は難しいとの見方があった。事実、出世争いでは常に弟が先行し、横綱へと駆け上がった。兄も小結時代の平成5(1993)年3月場所で優勝を経験して、同年7月場所後には大関に昇進し、平成7(1995)年11月場所では、すでに横綱に上がっていた貴乃花と史上初の「兄弟優勝決定戦」が実現。日本中が注目したこの一番を制して優勝し、平成9(1997)年1月場所には3度目の賜盃を抱いた。

 それでも、「弟が主役、兄は脇役」とのイメージはつきまとった。弟が毎場所のように優勝をさらう一方で、若乃花はなかなか横綱にはなれない。太股肉離れなどのケガも重なって不振が続き、引退もささやかれた。しかし、そんな声に抗うように再び闘志を奮い立たせ、平成10(1998)年3月場所、5月場所と連続優勝を果たし、史上初の兄弟同時横綱を実現。ついに弟と肩を並べた。

 しかし、横綱昇進後は大関時代以上に苦闘の連続だった。再びケガに苦しめられ、なかなか優勝を果たせない。横綱として並び立った貴乃花から、「若乃花の相撲には、基本がない」と批判され、兄弟の確執がとりざたされた。皆勤して負け越しという屈辱も味わったあと、平成12(2000)年3月場所、29歳の若さで引退した。

 現役時代晩年の印象から、若乃花は「不運の横綱」として語られることも多い。しかし、平成前半、空前の相撲ブームを巻き起こした輝きは、それ以上に印象深い。大型力士全盛の時代に、スピードと技を磨いて対抗し、横綱にまで上り詰めたことは、後に続く小兵力士たちに大きな勇気を与え続けている。

 引退後は、年寄藤島を襲名した後、1年足らずで退職。アメフト挑戦、ちゃんこ店経営などのあと、現在は花田虎上の名でタレント活動を行ない、数年前からはABEMAの大相撲中継の解説を務め、スポーツ紙でも健筆をふるっている。「大嫌い」とうそぶいていた相撲の世界から一度離れ、再び戻ってきた若乃花は、あの人懐っこい笑顔とともに、現役時代の経験をもとにしたわかりやすく説得力ある解説で、相撲ファンを楽しませてくれている。

【Profile】若乃花勝(わかのはな・まさる)/昭和46(1971)年1月20日生まれ、東京都中野区出身/本名:花田 勝/しこ名履歴:若花田→若ノ花→若乃花/所属:藤島部屋→二子山部屋/初土俵:昭和63(1988)年3月場所/引退場所:平成12(2000)年3月場所/最高位:横綱(第66代)

著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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