【平成の名力士列伝:栃煌山】真っ向勝負の馬力相撲で横綱とも伍した「大関級」の実力 (2ページ目)

  • 荒井太郎●取材・文 text by Arai Taro

【貫いた相撲道】

 当時の角界は朝青龍や白鵬らのモンゴル勢をはじめ、優勝は外国出身力士の独占状態。平成18(2006)年1月場所の大関・栃東以降、"国産力士"で最初に賜盃を手にしかけたのが栃煌山だった。

 前頭4枚目で迎えた平成24(2012)年5月場所は、優勝の大本命である横綱・白鵬が初日黒星を喫すると、7日目からも3連敗で圏外へ。優勝争いは14日目を終わり、3敗で大関・稀勢の里、平幕・旭天鵬とともに栃煌山もトップに立った。

そして、千秋楽を前に予期せぬことが起こった。対戦相手の大関・琴欧洲が突然の休場で不戦勝が転がり込み、最低でも優勝決定戦進出が確定。あとのふたりがともに勝てば優勝決定巴戦となり、いずれも敗れれば、戦わずして初優勝のケースも考えられた。

 一報は千秋楽の朝、師匠(元関脇・栃乃和歌)から知らされた。果たして、当日はどの時点にピークを持っていけばいいのか、栃煌山は心身ともに難しい調整を強いられた。

「言われたときは緊張した。決定戦があると思いながらも正直、ふたりとも負けたらという気持ちもどこかであった」

 先に土俵に上がった旭天鵬は関脇・豪栄道を降し、稀勢の里は把瑠都との大関同士の一番に敗れたため、史上初の平幕同士の優勝決定戦で賜盃は争われることになった。しかし、栃煌山、37歳の大ベテランを土俵際まで追い詰めたが、叩き込まれて惜しくも初優勝はならず。大きなチャンスを逸したが、その後はほぼ三役に定着し、大関候補と言われるまでになった。

 やがて三十路の大台に乗ると持ち前の馬力に陰りが見え始め、平成29(2017)年9月場所を最後に三役の座を明け渡すことになったが、「現役でいる以上、上を目指さなければ、やる意味はない」と稽古場ではなおも、"完璧"を探求し続けた。

「腰や背中に体の芯が通る感覚」を得るために、腰を十分に下ろした体勢で鉄砲柱に向かい、四股はつま先立ちのまま踏み続けることで「スネの筋肉が張って力が前に乗る感じになって、腰もいい感じで決まってきた」と理想の立ち合いを求める。その"旅路"は、33歳で引退するまで続いた。

 低い角度で鋭く当たる立ち合いから右四つ、またはもろ差しになって相手に下から密着し、一気に持っていく馬力相撲は、対戦成績こそ大差をつけられたが、白鵬をしばしば土俵際まで追い詰め、横綱時代の鶴竜とは6勝7敗。大関時代の琴奨菊、照ノ富士にはそれぞれ12勝11敗、5勝(不戦勝一つを含む)5敗とほぼ互角。大関昇進以降の稀勢の里とは13勝17敗と、実力は立派な"大関級"だった。

【Profile】栃煌山雄一郎(とちおうざん・ゆういちろう)/昭和62(1987)年3月9日生まれ、高知県安芸市出身/本名:影山雄一郎/しこ名履歴:影山→栃煌山/所属:春日野部屋/初土俵:平成17(2005)年1月場所/引退場所:令和2(2020)年7月場所/最高位:関脇

著者プロフィール

  • 荒井太郎

    荒井太郎 (あらい・たろう)

    1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。

2 / 2

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る