【平成の名力士列伝:栃煌山】真っ向勝負の馬力相撲で横綱とも伍した「大関級」の実力
三役ながら馬力相撲で大関・横綱と伍した栃煌山 photo by Kyodo Newsg
平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。
そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、完璧を求めた馬力相撲で「大関級」の実績を残した栃煌山を紹介する。
連載・平成の名力士列伝07:栃煌山
【10代関取として台頭】
低い立ち合いから相手を根こそぎ土俵際に持っていく馬力相撲を武器に、長く三役を務めた栃煌山。しばしば横綱、大関陣を苦しめたが、会心の相撲で上位力士を撃破したときでも、満面の笑みをほとんど見たことがない。むしろ、首を捻りながら「立ち合いはよかったけど......」と納得がいかないといった表情をよく見せていたものだ。立ち合いから圧倒する勝ちにも「もっと当たれてたかもしれない」と常に"完璧"を追い求めてきた。
後年、そんな話を向けると「そう言われれば、そうですね(笑)。80~90点はあっても、100点はなかったかもしれない。やっていれば、どこかで『もっと』というのは、絶対にありますから」と語っていた。
のちの大関・豪栄道とは同学年で高校時代からライバルと言われ、両者は平成17(2005)年1月場所で初土俵を踏んだ同期生だが、新十両、新入幕はいずれも栃煌山が先んじ、10代関取として早くから注目されていた。
幕内デビュー場所の平成19(2007)年3月場所は12日目に勝ち星を早くも2ケタに乗せ、横綱・朝青龍とともに1差でトップの大関・白鵬を追い、優勝戦線にも名を連ねた。その後は連敗で優勝争いからは脱落したものの、11勝4敗で敢闘賞を受賞する活躍ぶりだった。
翌場所は番付を大きく上げて前頭4枚目に躍進したが、6勝どまり。序ノ口からの連続勝ち越しは13場所でストップした。誰もが経験する上位の厚い壁に跳ね返される結果となったが、「立ち合いが弱い。もう1回やり直しです」と悔し涙を流すほどで、場所直前に二十歳の誕生日を迎えたばかりの若きホープは、土俵上ではあまり見せないが、強烈な負けん気の持ち主だった。
続く7月場所は左肩脱臼で自身初の休場となり、その後はしばらく平幕下位に低迷していたが、平成21(2009)年5月場所で新小結に昇進。新関脇となった平成22(2010)年9月場所は3大関を撃破して11勝をマークし、2度目の技能賞を獲得したが、まだ三役定着には至らなかった。
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著者プロフィール
荒井太郎 (あらい・たろう)
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。