東京五輪プレイバック:体操・橋本大輝が個人総合制覇 新エースとしての地位を築く (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

【種目別でも鉄棒で力を発揮】

 予選1位で進んだ8月3日の種目別鉄棒でも、唯一15点台に乗せる15.066点で優勝。

「世界選手権や五輪の前だと何回も合宿があって、試合形式の練習をすることが多かった。そういう時でも、会場の雰囲気を想定したり、前の人が失敗したり、ケガをしたり、精神的な負担がかかるようになったらどうするかを想定し、一つひとつの演技に集中する準備をしました。それが本当に完璧にできていたので。

 僕自身もオリンピックは特別なものだと思っていますが、試合になったら特別だとは思わない。練習どおりにやることを意識してやっていたので、プレッシャーや緊張はあったけど、余計なプレッシャーは気にせずできました」

 団体の金メダルは逃したが、個人総合も種目別鉄棒も金メダルを獲るのが当たり前だと思って臨んだ、予選からの11日間の戦い。19年世界選手権の段階では難易度を数値化するDスコアの6種目合計が34点台だったのに対し、東京では「最高では37点にするまでになっていたが、体の故障などもあったのでそこまでにはしないで、36.6点にしていた」と橋本。その活躍には、彼自身の飛躍的な技術の進歩があったのも確かだ。

「東京で勝ったことで、僕には五輪3連覇という前人未踏の記録の可能性も出てきた。世界選手権も含めて、いろいろな新しい記録を作れる立場にいるので、これからはそれらすべてを突き抜けることを目標にしたい。勝ち続けることより、自分の理想の演技に徹することを目標にしていけば、結果はついてくると思うので、どの試合でも自分のベストを出せるようにすることを目標にしていきたい」

 19年世界選手権の団体は3位に終わった日本。個人総合も唯一決勝に進出できた萱の6位が最高だった。種目別も萱と橋本が2種目ずつ決勝に進んだが、メダルは平行棒の萱の銅だけ。水鳥監督はその時、東京五輪団体の3位も覚悟した。

 だが、その世界選手権での経験、また新型コロナ感染拡大でオリンピックが1年延期になった期間を有効に使い、若手が急成長した。そんな運との巡り合わせもあった橋本は、東京五輪制覇で新たな夢のスタートラインに立った。

著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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