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【平成の名力士列伝:魁皇】息の長い活躍を見せ「お相撲さんらしいお相撲さん」として絶大な人気を誇った「若貴曙」の同期生

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

魁皇は大関として10年以上在位、そのキャラも多くの人々に愛された photo by 時事通信社魁皇は大関として10年以上在位、そのキャラも多くの人々に愛された photo by 時事通信社この記事に関連する写真を見る

 平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

 そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、「若貴曙」と同期で息長く活躍し、国境を越えた人気を誇った魁皇を紹介する。

連載・平成の名力士列伝03:魁皇

【人前で裸になる相撲は嫌いだったが......】

「お相撲さん」――その言葉からは、ただ相撲が強いだけでない、マゲに廻しや着物姿の「気は優しくて力持ち」な大男の姿が浮かび上がる。野球選手やサッカー選手は「お野球さん」「おサッカーさん」とは呼ばない。「お相撲さん」という言葉は、相撲が単なるスポーツではなく、日本人の心に根差した、かけがえのない文化であることを物語っている。

 平成時代、そんな「お相撲さんらしいお相撲さん」として絶大な人気を集めたのが魁皇だ。

 出身は福岡県直方市。人前で裸になる相撲は嫌いだったが、大きな体を見込まれて仕方なく大会に出て活躍する姿が友綱部屋の関係者の目に留まった。稽古見学に行ってちゃんこをご馳走になり、断れなくなって入門したという。

 初土俵は昭和63(1988)年3月場所。同期生には、人気大関・貴ノ花の息子である若花田(のち若乃花)、貴花田(貴乃花)の兄弟や、ハワイ出身で身長2メートルの曙がいた。本格的な相撲経験のない、中学を卒業したての魁皇は、目立たない、その他大勢のひとりだった。入門間もない頃、仲間に誘われて部屋から脱走を試みたこともある。しかし、いやいやながら稽古を続けるうちに秘めた素質が開花し、19歳で新十両、20歳で新入幕。21歳で小結、22歳で関脇と順調に出世。先に大関、横綱へと昇進した曙、貴乃花、若乃花らに挑んでしばしば殊勲の星を挙げ、注目された。

 温和で優しげな風貌で、ちょっとうつむき加減に塩をまく。軍配が返れば、リンゴを軽々と握り潰し、握力計を振り切るという怪力を武器に、右上手をつかんで豪快に投げ飛ばす。そんな姿は、「気は優しくて力持ち」な、お相撲さんのイメージにピッタリだった。私生活では「酒豪」として知られ、1晩で日本酒4升を平らげた。普段は温厚だが、飲むと手がつけられなくなる。そんな人間的なエピソードも相撲ファンの心をとらえた。

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著者プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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