【平成の名力士列伝:魁皇】息の長い活躍を見せ「お相撲さんらしいお相撲さん」として絶大な人気を誇った「若貴曙」の同期生 (2ページ目)

  • 十枝慶二●取材・文 text by Toeda Keiji

【相撲界を象徴する存在に】

 こうして一躍、大関候補に名乗りを上げた魁皇だが、ここ一番で負けることが多く、関脇で足踏みが続いた。転機が訪れたのは平成12(2000)年1月場所千秋楽。大関取りのライバル武双山に敗れて先に初優勝を決められ、魁皇自身は負け越して関脇から陥落。しかも、派手に土俵下に落ちて両足がVの字になって天を向く完敗だった。屈辱の黒星に数日、部屋に引きこもったという。翌3月場所、武双山が12勝して大関に昇進した一方で、魁皇は8勝止まり。

 ここで、のんびり屋のハートに火がついた。生活を見直し、大好きなお酒も控え、体を鍛え直して、相撲のことだけを考える日々を送った。苦い経験をバネに成長した魁皇は、同年5月場所、27歳で初優勝を果たし、7月場所後に大関に昇進した。

 大関昇進後は安定した成績を続け、計4回(通算5回)も賜盃を抱いた。しかし、優勝した直後の場所は不本意な成績に終わることが多く、綱取りを逃し続けた。やがて体はボロボロになり、引退も考えた。しかし、ちょうど相撲界は不祥事が相次いで世間から厳しい目を向けられ、危機を迎えていた。絶大な人気大関の魁皇がやめたら、影響は計り知れない。気力を振るい立たせて土俵に上がり続けた。そんな姿に、ファンだけでなく力士や親方たちも感謝し、信頼を寄せた。

 平成20(2008)年8月、初のモンゴル巡業が開催された。朝青龍、白鵬らのモンゴル出身力士には当然、大きな声援が送られたが、彼ら以上の人気を集めたのが魁皇だった。土俵に上がれば「カイオー!」の大歓声が上がり、あちこちで記念撮影やサイン攻めにあった。

 現地の人は、こう語った。「力強くて、優しそう。モンゴルの相撲ファンはみんな、魁皇関が大好きです」。「お相撲さんらしいお相撲さん」である魁皇の魅力は、国境を越え、モンゴルの人々の心もとらえたのだ。

 平成23(2011)年7月場所、通算勝利数を当時史上最多の1047に伸ばして39歳目前で引退。その後は、浅香山部屋を創設し、弟子の育成に励んでいる。さらに今年、相撲協会の理事にも就任した。

 絶大な人気を集めた「お相撲さん」が、令和の土俵をどう導くのか、期待したい。

【Profile】魁皇博之(かいおう・ひろゆき)/昭和47(1972)年7月24日生まれ、福岡県直方市出身/本名:古賀博之/しこ名履歴:古賀→魁皇/所属:友綱部屋/初土俵:昭和63(1988)年3月場所/引退場所:平成23(2011)年7月場所/最高位:大関

プロフィール

  • 十枝慶二

    十枝慶二 (とえだ・けいじ)

    1966(昭和41)年生まれ、東京都出身。京都大学時代は相撲部に所属し、全国国公立大学対抗相撲大会個人戦で2連覇を果たす 。卒業後はベースボール・マガジン社に勤務し「月刊相撲」「月刊VANVAN相撲界」を編集。両誌の編集長も務め、約7年間勤務後に退社。教育関連企業での7年間の勤務を経て、フリーに。「月刊相撲」で、連載「相撲観戦がもっと楽しくなる 技の世界」、連載「アマ翔る!」(アマチュア相撲訪問記)などを執筆。著書に『だれかに話したくなる相撲のはなし』(海竜社)。

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