東京五輪プレイバック:体操・橋本大輝が個人総合制覇 新エースとしての地位を築く

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

新時代のエースとしての力を証明した橋本大輝 photo by Getty Images新時代のエースとしての力を証明した橋本大輝 photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る

PLAYBACK! オリンピック名勝負――蘇る記憶 第48回

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で1年延期となり、2021年夏に行なわれた第32回オリンピック競技大会・東京2020。無観客という異空間での開催となるなか、自分自身のために戦い抜いたアスリートたちの勇姿を振り返る。

 今回は男子体操の新エースとして輝きを放ち、個人総合で頂点に立った橋本大輝を紹介する。

【団体戦鉄棒で見せた勝負強さ】

 高3で初めて出場した2019年世界選手権は、団体予選と決勝で4種目を演技して日本の銅メダル獲得に貢献した橋本大輝。順大進学後の初の大舞台となった東京五輪では、個人総合で12年ロンドン五輪、16年リオデジャネイロ五輪の内村航平に続く、金メダルを獲得。日本人3大会連続制覇という快挙を、五輪男子体操史上最年少記録で果たした。だが、本番に臨む前日は不安もあった。

「2日前の団体決勝の時のやりきった感がすごかったので(銀メダル獲得)、個人総合までの中1日は体力的にも精神的にもすごくきつくて。『明日、個人総合をやるのかぁ』と、ネガティブな気持になっていました」

 開会式翌日の7月24日から始まった体操競技。全日本選手権とNHK杯を制してエースとして臨んだ橋本は、予選は個人総合1位通過。2大会連続の金メダルを狙う団体も4人全員が個人総合順位13位以内で1位通過と順調だった。

 だが、チームにアクシデントが起こった。2種目目の鉄棒で、団体メンバーではなかったものの、種目別鉄棒の優勝を狙っていた内村が落下。予選落ちという思わぬ結果になった。水鳥寿思(ひさし)・日本代表監督はその後の決勝へ向け、「ほかの選手たちが、『内村さんでもこんな失敗が出るんだ』と考えて構えてしまうことを心配した」と話した。

 しかし決勝において、橋本はその影響はなかったと断言する。

「体操は普段の試合から何が起こるかわからないし、オリンピックも何が起きるかわからないところだと考えていたので、内村さんは失敗してしまったけど、人のことは気にしないというか。僕たちは僕たちのことに集中して、内村さんからいろいろアドバイスされたことを生かしてやっていくしかないのかなと思っていたので、本当に自分たちに集中してできたと思います」

 予選2位の中国と同じローテーションだった26日の団体決勝。日本は得意のゆかから好発進し、中国に対しては好ポジションの位置につけていたが、ROC(ロシアオリンピック委員会)が想定以上に得点を重ねてきた。

 ROCの躍進とは裏腹に、日本は得点源のひとつである平行棒でも得点を伸ばしきれず、最後の鉄棒を残した段階でROCに1.271点差、中国にも0.640点差をつけられての3位となった。

 迎えた最後の鉄棒。43.999点をマークした予選1位の種目で、中国とはそこで1点以上の差をつけていた。ただ、ROCも最後のゆかでは予選で43.066点を記録しており、逆転はかなり難しい状況にあった。

 日本は、萱和磨と北園丈琉が予選より高い14.200点と14.500点を出したあと、橋本が最後の演技を迎える。その時点でROCとは0.537点差まで迫ったが、ROC最後の演技者もエースのニキータ・ナゴルニー。Dスコアを抑えて安全にくることが予想されていたため、橋本は小さなミスも許されなかった。

 そんななか、予選で全体トップの15.033点を出していた橋本は、「演技を始める前からみんなが『大輝、いってこい!』『いけるぞ!』と言ってくれていたので、ひとりではなく、みんなの思いがこもっているんだ、という気持ちになった」と、プレッシャーのなかでも完璧な演技をする心の強さを見せた。最後の着地もピタリと決めてガッツポーズをした得点は、予選を上回る15.100点だった。

 しかし結局、19年世界王者のナゴルニーも安定した演技を見せ、トータル262.500点のROCが0.103点差で逃げきり、トータル262.397の日本は銀メダルにとどまった。ひとつ前の平行棒は予選でチームトップの10位だった橋本を起用せず44.666点に止まったが、予選では他の3人の合計も45.241点だった。優勝の可能性は十分ありながらも逃したメダルだった。

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プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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