オリンピック代表候補→レースクイーン→ビキニ選手 異色の経歴を持つREIKAは「ドライバー目線でレースを見ていた」 (2ページ目)

  • 石塚 隆●取材・文 text by Ishizuka Takashi

レースクイーン時代のREIKAさんレースクイーン時代のREIKAさんこの記事に関連する写真を見る── 高校を卒業したあとも競技は続けていたんですよね?

「いえ、高校で辞めて1年浪人をして、関東の大学に進学したんです。ヨット部のほかの子たちは全員、推薦で大学のヨット部に進んだんですけど、私としては違う生き方も経験したくって。本音を言うと、部活がきつくて『辞めたい』って思いながらヨットに乗っていたんですよ。だから浪人しながら、福岡でモデルやレースクイーンの活動などをしていました」

── じゃあ、大学で再びヨットを?

「それがいろいろあって、大学に入って半年ぐらいした時に、実業団のチームにスカウトされたんですよ。高校の時、それなりの成績を残していたので、どうやら私が関東にいるらしいと業界で噂になって(笑)。私としても母子家庭でしたし、ダラダラと大学生活を送るのも悪いかなと思った時期で......。実業団に入れば、お給料も出ますしね。

 あとはやっぱり、目的があってこその人生。これはチャンスだし、よしやってみようって。そこで大学を辞めて実業団で競技に専念するようになり、ほどなくして特別強化指定選手になったんです」

── 当時の国内での戦績は?

「パートナーにも恵まれて、ほとんどの大会で優勝していました。実業団にいる時は、年間の3分の1は海外での遠征試合でしたね。ナショナルチームの一員として世界中を転戦しながらの4年間。ほとんど休みがなくて大変でしたけど、今となってはいい思い出です」

── しかし、北京オリンピックには届かなかった。

「そうなんです。優勝ペアのみが日本代表になれる最終選考大会で3位に終わってしまって......。その後、また4年間続けるという話もあったのですが、ほかにもやりたいことがいっぱいあったんで、引退することを決めました」

── その後は何をしていたんですか?

「博多時代にモデルやレースクイーンをやっていたと言いましたが、当時は不完全燃焼だったので、再び同様の活動を始めたんです。やるからには極めたい性分なので(笑)。レースクイーンは昨年までやっていましたね」

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