ロコ・ソラーレの吉田知那美は「早くこの町を出たかった。ここにいたら何者にもなれない、という恐怖心があった」

  • 竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro

カーリング女子日本代表として、日本カーリング史に刻まれる数々の快挙を遂げてきたロコ・ソラーレの吉田知那美。彼女がこれまでの人生で影響を受けた「言葉」や「格言」、さらには彼女が戦いの舞台で発してきた「言葉」や「名言」にスポットを当てた連載の第2回。今回は、2018年平昌五輪で銅メダルを獲得したあと、地元・常呂町に帰ってきた時に彼女が発した言葉に迫る――

吉田知那美にちなんだ『32の言葉』
連載◆第2エンド

正直この町、何もないよね。小さい頃は、ここにいたら
夢は叶わないんじゃないかと思ってました。
でも今は、この町じゃなきゃ夢は叶わなかったと思います。
(吉田知那美/2018年平昌五輪後、地元の常呂町にて)

 2018年平昌五輪の最後の試合、イギリス代表とのブロンズメダルゲームは2月24日でした。翌25日にはメダルセレモニーに出席し、閉会式にも参加してから帰国しました。日本に着いてからも、東京でテレビの収録などを行なって、女満別空港に着いたのは27日の夜でした。

 そこでもご挨拶やご報告をして、最終的にホームリンクのアドヴィックス常呂カーリングホールに帰ってきたのは、22時を過ぎていたと思います。到着予定より1時間も遅れて、夜もだいぶ深くなっていたのですが、地元のみんなが笑顔で待っていてくれました。

 そのなかには、練習終わりの子どもたちもたくさんいました。翌日も学校があるので、本当はもう帰って寝ていないといけない時刻なのに、一番前に座って待っていてくれた彼ら、彼女らに向けて言ったのが、今回の言葉です。

 本当に何もないんです。常呂町。

吉田知那美が愛する故郷、手つかずの自然に囲まれた常呂町。写真:本人提供吉田知那美が愛する故郷、手つかずの自然に囲まれた常呂町。写真:本人提供この記事に関連する写真を見る 私は小さい頃、早くこの町を出たかった。ここにいたら何者にもなれない、どんな夢も叶わないんじゃないか、という恐怖みたいな感情がありました。外に出たいという気持ちもあり、高校卒業後はバンクーバーに留学しました。もちろんその体験はかけがえのないものではありましたが、そこで何者かになれたかと言えば、私は私のままでした。

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