「平昌五輪後は人目が気になって外に出られなくなった」 小平奈緒が注目される生きづらさのなかで見つけた人とのつながり 今後の新たな挑戦 (3ページ目)

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • 村上庄吾●撮影 photo by Murakami Shogo

【見る人が何かを感じてくれたら最高のギフト】

地元・長野でスタンド満員のなか、最後のレースを滑った小平奈緒 photo by AFLO SPORT地元・長野でスタンド満員のなか、最後のレースを滑った小平奈緒 photo by AFLO SPORT スケートを始めた頃は、ここまで続けるとは思っていなかった。「気がついたら36歳になっちゃいましたね」と笑う小平は、スポーツの対する考え方も徐々に変わってきたという。

「最初は結果を出すために頑張っていましたが、段々自分の体に興味を持つようになって。股関節を痛めたのは、多分スポーツをやっていると体の使い方に偏りが出るからで。でも最後には、人間としての機能をちゃんと働かせることがパフォーマンスにつながるというのに気がつくことができました。一般の生活でも体に偏りが出てくる部分はあるので、それをリセットしてコンディショニングするのが運動ですよね。だから、子供たちにはスケートをやって欲しいと思うだけではなくて、生まれ持った体を心地よく使うというところに注目して欲しいです。体の豊かさは心の豊かさだと思うので、そこにアプローチできる何かのお手伝いができればいいと思っています」

 競技スポーツは"究極"を追い求めている。その限界値を示せるのは魅力ではあるが、それを観ている人に押しつけるものではないとも思った。「なんだかわからないけど震えたとか心が動いたなど」受け取る人の反応そのものがスポーツの良さだと語る。

「選手は100%表現する以外は何もできないが、観ている人たちがそれぞれの感性で何かを感じてくれれば、選手にとっては最高のギフトだと思う」

 だが、小平も日本代表という言葉を背負いすぎた時もあった。それが1回目のバンクーバー五輪と2回目のソチ五輪だった。そんな経験をとおし、「小平奈緒という人間がどう生きているか」を感じ取って欲しいと思うようにもなった。

「平昌五輪が終わってからは、人目が気になって外に出られなくなったんです。どこに行って何をするにも、人に期待されるように振る舞わなければいけないという感覚で......。外に行くと写真をパシャパシャ撮られたり、動画を撮られたりするのが平昌のあとは多くて、どこに行っても監視カメラがあるみたいで、『このまま生きていくのは苦しいだろうな』と思っていました。

 でもちょうどその頃に、台風19号の豪雨災害で(長野の)リンゴ農家が被害を受けて。それを見た時に『何か思うのでなくて、まずは動かなきゃ』と思い、ボランティアとしてひとりで飛び込んでいったんです。そうしたら地域の人たちは壁も作らず受け入れてくれるし、特別扱いもしないで普通に接してくれたんです。それで『私も地域の中のひとりとして生きていいんだ』と思ったんです。だから今はむしろ、いろんな人と接していこうと思ってやっています。普通の町の個人でやっている本屋さんとか、小さな洋服屋さんとかへ行って。そういうところからコミュニティを広げていけばいいかなと思っているんです」

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