「フェンシングはなんとなくやっているだけだった」少女が世界一になるまで。江村美咲を本気にさせたライバルたちの存在 (3ページ目)

  • 門脇正法●取材・文 text by Kadowaki Masanori
  • 吉楽洋平●撮影 photo by Kichiraku Yohei

【ライバルとの出会いが自分を変えた】

ーーそれからは、フェンシング一筋ですか?

 私が通っていた中学校は全員部活に入らないとならなかったんですが、私は放課後にフェンシングの練習があるので、一番頻度が少ない部活という理由で、茶道華道部に入っていました(笑)。

 今考えてみると、その頃からフェンシングをやりたい、同世代のライバルたちに負けたくない、という気持ちが強く出てきていたのかなと。

 中学3年の終わり頃に、初めて国際大会で金メダルを獲って、周りもすごく応援してくれて、期待もしてくれるようになってくれて。その時は、私も「夢は五輪です」とか、言うようになってましたね。

この記事に関連する写真を見るーー高校は通信制(大原学園高)を選びました。その理由は?

 受験の時、迷ったんですよ。普通の高校か、通信制か。一般的な高校生活の青春も捨てがたかったんですけど......もうその頃には、フェンシングで後悔しないのはどっちだ、という考え方になっていました。

 同い年のライバルの存在を強く意識していたので、ちょっとでも差をつけたいと、競技により専念できる環境を選びました。

ーー競技における通信制高校のメリットとは?

 フェンシングにほとんどの時間を費やせたので、シニアの先輩たちと一緒に練習させてもらうことも多くなりました。

 毎日、やっぱり負けてばっかりいましたが、もっと強くなりたいと、自分が目指す位置がその頃に一段階上がったのかなと思います。

ーー逆にデメリットはありましたか?

 デメリットというわけではないんですけど。試合で海外へ行ったりして、それはそれで楽しかったんですが、学校のイベントはあんまり思い出がないんです。

 高校1年から3年までは、JOC(日本五輪委員会)エリートアカデミーに入っていたので、寮生活で寮母さんにしっかり管理されていました。

 高校は土曜日のみの通学コースだったので、学校生活に関しては、中学のほうが楽しかったかもしれないです。

ーーその後、中央大学へ進学します。この大学を選んだ理由は?

 他の大学からもいくつか声をかけていただいたんですが、中央大学はフェンシングの環境とサポート体制が整っていて、歴史もあるんです。

 その頃はまだ男子の歴史が中心でした。それで、自分が何か新しい歴史を作りたい、第一人者としてチャレンジしてみたいという理由から大学を決めました。

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