「フェンシングはなんとなくやっているだけだった」少女が世界一になるまで。江村美咲を本気にさせたライバルたちの存在 (2ページ目)

  • 門脇正法●取材・文 text by Kadowaki Masanori
  • 吉楽洋平●撮影 photo by Kichiraku Yohei

【「ただなんとなくやっているだけ」だったフェンシング】

ーーさて、今回のインタビューでは江村選手の軌跡をたどります。フェンシングとの出会いを教えてください。

 フェンシングは、幼い頃から身近でした。出身である大分県にいた頃、父(宏二、1988年ソウル五輪フルーレ日本代表)が地元のフェンシングクラブのコーチをしていて、最初は兄が通っていたんです。

 私は小学3年の時にクラブに遊びに行って、最初はボールゲームをしたり、フェンシングと関係ないことをしていたんですけど、通ううち、フェンシングに興味を持つようになりました。

 母(孝枝、元エペ世界選手権日本代表)はどちらかと言えば、他のスポーツをやってほしかったみたいで。母が昔、バスケをちょっとやっていたのもあって、チームスポーツとかをやってほしかったようです。

この記事に関連する写真を見るーーそうしてフェンシングを始めて、どんどんハマっていくことに?

 始めた頃は、太田雄貴さんが五輪でメダルを獲った影響が大きくて、周囲は当然のように種目はフルーレから始める時代だったんです。それで私もフルーレを最初はやっていました。

 中学1年でサーブルの試合でも優勝して、サーブルも楽しいなと思ったんですけど、そんなに本気でやるつもりはなかったんです。

 もっと言えば実は......フェンシング自体も楽しかったんですけど、当時はもっと強くなりたいという意識もなくて、ただなんとなくやっているだけで。

 フェンシングってカッコいいと思いますし、やっていると珍しがられるのがうれしくて、続けていただけだったんです。

 そんな時、福岡県のタレント発掘事業(将来のスポーツ選手を育てる事業)でフェンシングを始めたばかりの女の子たちにあっという間に抜かされてしまって。その悔しさで本気になった部分がありました。

フェンシングには、相手の体の胴体だけを攻撃できる「フルーレ」、上半身を攻撃できる「サーブル」、体のどこを突いてもいい「エペ」の3種目がある。

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