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廣瀬俊朗が激烈なエディージャパンの主将時代を回顧。伊藤華英が考える女性指導者増のために必要なこととは (4ページ目)

  • text by Sportiva
  • 木鋪虎雄●撮影 photo by Kishiku Torao

スポーツを広める活動を行なっている瀬俊朗氏スポーツを広める活動を行なっている瀬俊朗氏この記事に関連する写真を見る

もっと多くの人にスポーツを

――お二人はともにスポーツを広める活動をされています。今後のビジョンを教えてください。

廣瀬 最近「One Rugby」(ワンラグビー)の活動を少しずつ始めています。これは15人制や7人制のラグビーだけじゃなくて、車いすラグビー、デフラグビー、ブラインドラグビー、タッチラグビー、それから走らないラグビーなどでもいいんですが、すべての人に開かれたラグビーであるべきだと思っているので、さまざまなラグビーを体験できるイベントを開催したりしています。今後もラグビーができる環境を作っていくために活動していきたいと思っています。

伊藤 学生女性アスリートをサポートする活動『1252プロジェクト』は、10人くらいのチームで、毎週密度の濃い会議を行なっていますが、これはチームの枠を超えて、日本中の人とともに見つめていく課題だと思っていますので、引き続き、この活動を推進していきたいと思っています。

 それから、子供の時にスポーツでエリートになれなくて、挫折感を味わった人が結構多いのではないかと思いますが、大人になっても、その思いを引きずってあまりスポーツに関わりたくないという人が多いと感じています。やっぱりスポーツには、見る、支えるだけじゃなくて、やる楽しさがあると思っていますので、「エリートスポーツだけがスポーツじゃない」ということも広めていきたいなと思っています。


【Profile】
廣瀬俊朗(ひろせ・としあき)
1981年10月17日生まれ、大阪府出身。元ラグビー日本代表。ポジションはウイング、スタンドオフ。5歳からラグビーを始め中学まで吹田ラグビースクールに所属。北野高校へ進学し、高校時代には高校日本代表に選出されキャプテンを任される。慶應大学のラグビー部でも4年時にキャプテンを務める。2004年から東芝ブレイブルーパスに所属。07年に日本代表に選出され、12年から2年間、キャプテンに就任。2016年に現役を引退。東芝のコーチを務めたのち、(株)HiRAKU を設立。現在は一般社団法人スポーツを止めるな共同代表理事、特定非営利活動法人One Rugby理事長などを務める。

伊藤華英(いとう・はなえ)
1985年1月18日生まれ、埼玉県出身。元競泳選手。2000年、15歳で日本選手権に出場。2006年に200m背泳ぎで日本新、2008年に100m背泳ぎでも日本新を樹立した。同年の北京五輪に出場し、100m背泳ぎで8位入賞。続くロンドン五輪では自由形の選手として出場し、400mと800mのリレーでともに入賞した。2012年10月に現役を引退。その後、早稲田大学スポーツ科学学術院スポーツ科学研究科に通い、順天堂大学大学院スポーツ健康科学部博士号を取得した。現、全日本柔道連盟ブランディング戦略推進特別委員会副委員長、日本卓球協会理事。

■インスタで「スポーツと生理」の教材を配信
伊藤華英さんがリーダーを務める「1252プロジェクト」。これは女子学生アスリートを中心に、10代の若者が抱える「スポーツと生理」にまつわる課題に対し、トップアスリートの経験や医学的知見をもって、情報発信をしているプロジェクト。その一環として、インスタグラムで手軽に学べる「スポーツと生理」の次世代型オンライン教材『1252 Playbook』を配信中。
Instagram:1252project>>

女性アスリートが抱える課題を語る元選手たち

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