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廣瀬俊朗が激烈なエディージャパンの主将時代を回顧。伊藤華英が考える女性指導者増のために必要なこととは (2ページ目)

  • text by Sportiva
  • 木鋪虎雄●撮影 photo by Kishiku Torao

伊藤 2015年のワールドカップの南アフリカに勝った、あのチームの土台を作ったキャプテンですから、本当に苦労されたと思いますが、あの勝利は歴史に残る偉業ですよね。

廣瀬 あのワールドカップのために、どれだけきつい練習の日々を送ってきたことか。日本ラグビーは変革の時だったので、ヘッドコーチのエディー(・ジョーンズ)さんも相当なストレスを感じていたと思います。選手たちにとっては、今までやってきたことと全く違う練習スタイルでしたので、適応するのがすごく大変でした。そんななかでチームを作らなくてはいけなくて、とても苦労した記憶があります。

 2014年にキャプテンから外れたんですが、その後も新しいキャプテンのサポートをしていました。ただチーム内で何か問題が起こった時には、エディーさんから「廣瀬、どうなっているんだ!」と言われて......。僕が何とかしていくということもありましたね。

伊藤 そんな苦労があったんですね。競泳は個人競技ですので、当然自分にも集中しなきゃいけないし、ハイパフォーマンスも求められる。北島康介さんもキャプテンをやられていましたが、彼は絶対的な存在でした。彼がチームミーティングでみんなの前で話をすると、選手たちの気持ちが締まるので、とても重要な役割を担っていましたね。いるといないとでは大きく違いました。

女性指導者育成への課題

――お二人とも現役を引退し、現在は廣瀬さんが株式会社HiRAKUの代表取締役、伊藤さんは「1252プロジェクト」のリーダーになっていますが、指導者の道でやっていこうという意識はありましたか。

廣瀬 東芝ブレイブルーパスで2年ほどコーチとして指導もしましたが、スポーツを広めるためには外の世界に出るのが大事だと思って今の道に進みました。

伊藤 私は自分のコーチの姿を見ていたので、指導者になるという考えは湧きませんでしたね。朝から晩までほぼ毎日一緒にいて、家族よりも長くいる存在でしたので、当時から相当大変な職業だと思っていました。

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