元男性重量挙げ選手が女性として出場。五輪の性に関するルール化の歴史と意義 (3ページ目)
これと同じ例は、この東京大会でも起きている。今回、あまり大きく報道されていないが、ナミビアの陸上女子400mの金メダル候補2選手(※)が、テストステロンが基準以上だったため、オリンピックへの出場が認められなかった。つまり現行のルールに照らし合わせると、男性と女性を分けているのは、あくまでテストステロンの数値ということになる。これについて來田教授はこう語る。
※クリスティン・エムボマとベアトリス・マシリンギはルール対象外の200mには出場する
「トランスジェンダー、DSDsのいずれの女性選手に対しても、テストステロンのレベルが参加条件になっています。これは、スポーツが禁止してきたドーピングの考え方からすると、おかしいと言えます。スポーツは本来、自分の身体に細工をしないでフェアに競技しましょうということで、ドーピングを禁止してきました。
それなのに、ナミビアの2人に関しては、これまで言われてきたのとは逆の効果を与えるような医学的な介入、ある意味のドーピングをしないと出場できないということです。この事例は、私たちがスポーツの公平性をどう考えるのかを問いかけているんだと思います。
私たちは、同じ性別カテゴリーであれば、すごく背の高いバスケットボール選手を『ずるい』とは言ってこなかった。なでしこジャパンが世界一になった時も、体格差、フィジカルの弱さに対して、『組織的サッカーで対抗して優勝した』とほめ讃えました。スポーツではフィジカル差を超えられることも楽しまれてきた。背の高さ、フィジカルの強さは問題なくて、テストステロンが高いのはダメというのは、我々の視点そのものに歪みがあるのではないかと考えてみる必要があります」
近年叫ばれているジェンダーの問題も含め、多くの人たちは多様性についてより深く考え始めているはずだ。今回の東京大会の開会式で、大会組織委員会の橋本聖子会長がスピーチの中で「多様性と調和」という言葉を残している。今回初めてトランスジェンダーの選手が、オリンピックに出場することの意義について來田教授は語る。
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