元男性重量挙げ選手が女性として出場。五輪の性に関するルール化の歴史と意義 (2ページ目)

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「頬(口腔)の粘膜を取ってXとYの染色体を見ていましたが、検査をしていく中で、染色体が非典型だったり、人間の性に関わる身体の発達もさまざまだということがわかってきます。女性なのに、検査の結果、『女性ではない』という扱いを受けてしまう人がいて、それは、その人の人生に大きな影響を与えることになってしまうわけです。

 染色体の検査で判断できないのであれば、毛根から採取した細胞を使って検査しようとか、検査方法も迷走しました。しかし、パフォーマンスには何も影響を与えないのに、検査のせいで出場できない例が出てしまいました。

 いつの間にか、どうやったら、男性と女性を分けられるのかという制度になってしまったと言ってもいいと思います。公平に競技をする仕組みと言えなくなったばかりか、スポーツ界が選手の性別を決めるという、人権侵害にもなる。この2点が大きな理由となって、検査を廃止することになりました」

 さまざまな議論がなされた結果、2000年のシドニー大会以降、女性選手への検査は廃止された。さらに、国際オリンピック委員会は2004年からトランスジェンダー選手の参加も認めるようになった。この時には、「性別適合手術を完了していること」、「ホルモン療法を行なっている期間、それらに関する医師の証明と法律上の性別が変更されていること」が条件とされた。

 しかしこが、主に「DSDs選手」の人権を侵害するものだった。このルールに翻弄されてしまったのが、キャスター・セメンヤ(南アフリカ)だ。彼女はトランスジェンダーの選手ではなく、先天的にテストステロン値が高い選手、「DSDs選手」の一人だった。2009年の世界選手権陸上女子800mでセメンヤは、世界記録に2秒差をつけて優勝して注目を集めたが、疑いの目を向けられてしまった。

 そして2015年に選手の血液中のテストステロンのレベルに上限を設けるルールが採用され、さらに国際陸上競技連盟も新規定を設けたことから、テストストロンが上限を超えていたセメンヤは、出場資格が制限されてしまった。

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