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大学中退、アルバイト生活、リオ五輪落選。そこから這い上がったカヌー足立和也「1番以外は目標としていません」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●文 text by Sato Shun
  • photo by Getty Images

「大学を中退しました。僕は大学時代、海外で通用するレベルではなかったので、そういう選手が、海外よりも劣った環境で、そしてトレーニングする時間が少ない中では、どうやっても世界に追いつけない。まずは、ひとつでもいいので、海外の選手と同じ土俵に立てるものを作ろうと思い、大学をやめてカヌーに専念できる環境を求めました。そうして、カヌーで生きていく覚悟を決めました」

 中2の時からよく知り、世代別代表のコーチだった市場大樹に「この人なら一緒に面白いことができる」と思い、指導をお願いした。

 すぐに市場コーチが住む山口県萩市に移住した。

「現地では毎日、カヌー漬けで修業しているみたいでした」

 家は市場コーチが借りていた山の中の長屋に転がり込んだ。朝、ランニングから始まり、午前中は阿武川のコースで練習し、終わると近くのレストランでアルバイトをした。午後にまた練習をして、終わるとアルバイトに戻り、帰宅する。

「生きていくので必死でしたね。お金がないので海外に行けない。レースに出ないといけないけど、そのレース費用や遠征費用もままならない状態でした」

 カヌーの活動資金は、通常は年間で1000万以上は普通にかかるという。萩市に移ってきた時代、足立はできるだけいろんなものを省いて活動したが、それでも年間で500万円以上がかかった。切り詰めた緊縮生活をし、練習に没頭して1年後、足立は2012年日本選手権に出場した。「緊張して眠れなかった」というぐらいプレッシャーを感じ、レースでは手が震えた。だが、足立は勝ちたいという気持ちを全面に押し出して見事、優勝を果たした。

「ここで勝たないと生活もカヌーも大変なことになるので、絶対に勝たないといけないと思っていました。優勝できたので、山口県で応援してくださる企業が見つかってホッとしましたね。日本代表の海外遠征はカヌー連盟から補助が出たんですけど、それでも自己負担分がけっこうあるので、アルバイトを続け、コーチと生計を合わせてなんとかやっていける感じでした」

 アルバイト先のオーナーは、お昼のまかないを他の人よりも多く出してくれたり、バイトの時間についても「いつでもいいよ」と、足立の都合に合わせてくれた。

「僕はすぐに痩せる体質なので、ご飯をたくさん食べられるのは本当にありがたかった」

 カヌーに全てを捧げた厳しい生活の中で、芽生えたのが「飢え」だった。

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