蒼国来を相撲人生の絶頂からどん底へ突き落とした「ある事件」 (3ページ目)

  • 武田葉月●取材・構成 text&photo by Takeda Hazuki

 日本に行く時は、「ダメなら(内モンゴルに)帰ってきてもいいや」くらいの軽い気持ちだったけど、日本の相撲界ではモンゴル人をはじめとする外国出身力士がたくさんいて、みんな必死にがんばっている。そんななか、途中で逃げ出して国に帰ってしまったら、「おまえ、やっぱり弱いヤツだね」と言われてしまうでしょう。

 ですから、結果を残すまでは、私は内モンゴルには帰れない。中途半端なことはできない――力士になって1年、こうした重みがわかるようになってきて、私はもう一度、送り出してくれた人たちに自分の決意を告げたいと思ったのです。

「今後、私は大相撲ひと筋にがんばります」

 レスリング部の監督、両親の前でそうけじめをつけて、日本に戻りました。

 帰国を許してくれた親方とおかみさんは、私がこのまま内モンゴルから帰ってこないんじゃないか......と心配していたみたいですけどね(笑)。

 ここから、私の本当の相撲人生が始まったと思っています。

 どんなスポーツでも、基本が大事。これは、レスリングの監督にも言われていたことですが、相撲はとくにすり足や股割り、テッポウなどの基礎が大切だと親方にも教わりました。だから、とにかく基本からしっかり取り組むことにしたんです。

 再度幕下に上がったのは、それから1年後。その後はまた、三段目に落ちたり、幕下に復帰したり、番付は一進一退が続いていました。

 こうした壁を突き抜けられなかったのは、太れなかったことも一因です。レスリングをやっていた頃は、減量をしていたこともあって、食べ物はゆっくり噛んで食べる習慣がついていました。

 でも相撲の世界では、「ガツンと食え!」「ガンガン飲め!」という感じですから、私にとっては苦しいわけです。

 幕下に上がって、5年くらいくすぶっていた頃の体重は120kg前後でしたが、2009年に入ると、体重も125kgくらいに増えて、相撲にも勝てるようになってきました。

 実際、2009年初場所からは6場所連続勝ち越して、2010年初場所では念願の新十両に昇進しました。

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