2020.01.10

白鵬が明かしたケガへの不安と
横綱としての覚悟「若手力士の壁になる」

  • 武田葉月●構成 text&photo by Takeda Hazuki

【月刊・白鵬】2020年・特別編(後編)

現役の横綱として、2020年東京五輪を迎えることを、
大きな「夢」として、今年も年明けから日々精進している白鵬。
あらためて昨年の出来事を振り返りつつ、現在の心境を語る――。

精力的に稽古をこなす横綱・白鵬の挑戦は続いていく 昨年はケガに泣いた1年でありましたが、いいこともたくさんありました。

 9月には、申請していた日本への帰化が認められて、私はモンゴル人「ムンフバト・ダワージャルガル」から、日本人「白鵬翔」になったのです。

 私はかねてから、将来は相撲協会の親方になって、弟子を育ててみたいという夢を持っていました。親方になるためには、日本国籍を取得しなければいけませんから、晴れて日本人になれて、とてもうれしく思っています。

 ただ、これは決して簡単なことではありませんでした。モンゴル人力士の先駆者である旭天鵬関(現・友綱親方)は、2005年に日本に帰化されましたが、その時も、モンゴル国内では批判の声が上がりましたからね。

 旭天鵬関ご本人は、母国を捨てるとか、そういうことではなく、将来を見据えての決断だったのですが、なかなか周囲の人たちには理解してもらえなかったようです。

 そういうこともあって、私もいろいろと悩みましたが、亡くなった父も、最終的には私の思いに賛同してくれました。日本人になることへの迷いはありませんでしたから、本当によかったと思っています。

 ともあれ、モンゴルと日本――2つの祖国を持つ意義はとてつもなく大きいものだと思っていますし、「どちらの国にも迷惑をかけない生き方をしなければいけない」と、あらためて気持ちが引き締まりました。

 その後、秋場所(9月場所)を迎えて、その初日には、太刀持ち・炎鵬、露払い・石浦を従えての横綱土俵入りを、両国国技館で行なうことができました。念願叶って......というのは、まさにこういうことなんでしょうね。その際は、とても感慨深かったです。

 しかし、その初日の取組で、私は北勝富士に寄り切りで敗れてしまいました。場所前から何となく右手小指に違和感を覚えていたのですが、検査の結果、まさかの骨折と判明。2日目からの休場を余儀なくされてしまったのです。無念ながら、同部屋の力士を従えての"自前の土俵入り"も、わずか1日だけで終わってしまいました。