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元大関・琴欧洲が相撲人気に「怖い...」。
何が支えているのかわからない (2ページ目)

  • 武田葉月●取材・構成 text by Takeda Hazuki

 大関昇進の伝達式は、先代親方と現師匠が並んで使者を迎えるというシーンになりました。

 私が入門を決めたきっかけは、先代親方が私の目をジッと見て、「オレについて来い」と言って握手をしてくれたことでした。それ以降、何かにつけて、「欧洲、欧洲」とかわいがってくださった先代。定年で第一線を退いてしまうのは残念でしたが、引き続き私たちを見守ってくれると言葉をかけてくださり、安心したことを覚えています。

 昇進して2年ほどは、ケガの影響などもあって、大関として満足な成績が残せなかったのですが、休場明けの2008年夏場所(5月場所)は初日から絶好調。11日目には、このところ勝てなくなっていた横綱・朝青龍、12日目には白鵬に勝ち、12連勝の快進撃でした。

 ふたりの横綱がこの時点で3敗と2敗だったため、全勝の私は、優勝を意識するあまり、逆に硬くなってしまい、13日目、相撲巧者・安美錦に敗戦。けれども2敗力士がいなかったので、14日目安馬(のち横綱・日馬富士)に勝った時点で優勝が決まるという展開になったのでした。

 ヨーロッパ出身力士として初めての優勝を、一番喜んでくれたのは、父でした。ブルガリアから急遽駆けつけてきてくれた父と花道で抱き合うと、自然に涙があふれてきました。

「カロヤン、本当によかったな!」

 先代親方がもしこの時、ご存命だったら、きっと父と同じ言葉をかけてくれたと思います。先代は私の優勝を見ることなく、前年の8月に天国に旅立っていたのでした。

 初優勝から5年以上、大関を務めました。

 その間、ケガでカド番を迎えたことも何度かありましたが、なんとか乗り越えてきました。けれども、2013年九州場所3日目での左肩の脱臼は重症でした。

 靭帯を断裂、鎖骨も負傷し、「相撲を取ることは無理」とドクターストップがかかってしまったのです。ここで休場してしまえば、(カド番だったため)関脇に落ちてしまう。相撲協会には、関脇に落ちた場所で10勝すれば大関に復帰できるという規定があるのですが、(休場は)苦渋の決断でした。

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