なぜ小平奈緒は平昌であんなに強かったのか。
苦労を知る番記者が明かす

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi
  • photo by JMPA

 昨年1月、小平奈緒(相澤病院)は、ソチ五輪後に行ったオランダ留学の2年間をこう振り返っていた。

「オランダでは1年目から『これじゃ足りないな』と感じていて、もどかしいまま練習をやっていました。それでも最初のシーズンはW杯の500mで初勝利を挙げたり、6勝していた李相花(イ・サンファ/韓国)がW杯ファイナルを欠場したこともあって、初の総合優勝は果たしたけれど、自分の中では『何かおかしい』という思いもあって......。『1年で帰ったらそれが何なのかわからないから、もう1年いなければ』と思いました」

オランダ留学で精神面、滑りともに鍛えられ、今の小平奈緒があるオランダ留学で精神面、滑りともに鍛えられ、今の小平奈緒がある そう思って臨んだオランダ2年目も、1年目で感じた「何かおかしい」という感覚通りだった。「W杯も6位が最高とよくなく、『ああ、やっぱりな』という感じになったんです」と、自分のなかで納得がいった。

 こうして過ごしたオランダの2年間で自分の滑りや調整の違和感を確認できたからこそ、帰国後にそこを修正して、今の小平ができている。

 そもそも小平がオランダへ行くことを決断したのは、500mで5位に終わった2014年ソチ五輪後に何かを変えたいと思ったことがきっかけだった。加えて、スケート発祥の国の文化に肌で触れたいという思いもあった。

「オランダでは実際にファンの人たちのスケート愛を感じたり、道路が凍ったら滑り出しちゃうような人たちが近所にいる環境で生活したり。スーパーや本屋さんへ行くと、普通に『あの日本人の速い子かい?』と声をかけてくれたりして、そのスケート文化を肌で感じたことが一番よかった」

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