2018.02.07

トリノで目撃した荒川静香の
「超人的な冷静さ」と日本メディアの愚行

  • photo by Kyodo News

短期連載・五輪記者オリヤマの追憶 トリノ(2006年)

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 2006年のトリノ五輪の開幕前に、私はあるテレビ局から「日本のメダル獲得予想」を頼まれ、「銀メダル1個、銅メダル1個」という厳しい予想をした。苦戦を強いられた4年前のソルトレイクシティ五輪に続き、日本人選手がメダルを期待できる競技が少なかったからだ。

2006年に日本で「社会現象」となった荒川静香のレイバック・イナバウアー その中で、「銀メダル獲得」を予想したのは、スピードスケート男子500mの加藤条治だった。

 同種目は、1984年のサラエボ五輪からソルトレイクシティ五輪まで6大会連続でメダルを獲得していた、いわば日本の”お家芸”。トリノ五輪でも、好調を維持していた加藤がその歴史をつなぐと思っていた。

 加藤は、2002年に日本人選手として史上初となる高校3年生でのW杯出場を果たし、その年の12月には清水宏保を破って2位に入るなど、一気にトップへ駆け上がった。トリノ五輪代表に内定を決めた2005年には、清水が持っていた500mの世界記録を更新している。

 加藤の一番の武器は、ショートトラックの経験を生かしたコーナーワークだ。氷上でのバランス感覚に優れ、コーナーでぐんぐん加速していく滑りは天才的だった。トリノ五輪ではアメリカのジョーイ・チークなど強力なライバルもいたが、加藤が表彰台の真ん中に立っても何ら不思議ではなかった。

 しかし、本番のレース直前にアクシデントが起こる。練習中に韓国のコーチと接触し、その際にスケート靴のエッジが欠けてしまったのだ。加藤は必死に刃を研いでレースに間に合わせたものの、この破損が繊細な感覚が必要とされるコーナーワークに狂いを生じさせることは明らかだった。

 案の定、1本目は加藤の前の組に転倒があり、整氷で8分間待たされる不運も重なって11位と出遅れてしまう。2本目では本来の力を発揮したものの、6位まで順位を上げるのが精一杯だった。同じ500mでは及川佑の4位が最高で、過去2大会でメダルを獲得していた清水もふるわず、この種目の五輪での連続メダル獲得は6大会で途絶えることになった。