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冬季オリンピック史に残る「不可解な判定」。
日本を襲った不運の連鎖 (3ページ目)

  • photo by Kyodo News

 また、今では欧米選手たちがしのぎを削るスケルトンでも、ある日本人選手が涙を飲んでいた。 

 スケルトンはソルトレイクシティ五輪で13大会ぶりに正式種目に復帰している。長野五輪での復帰の可能性もあったため、日本でも競技に取り組む選手が増えたが、その中で急成長を遂げていたのが越和宏(こし かずひろ)だった。

 1992年のアルベール五輪後、ボブスレーからスケルトンに転向した越は、指導者が皆無の状態ながら徐々に力をつけ、2000年のW杯長野大会では優勝も果たしている。

 体格が大きい選手のほうがスピードが出やすいスケルトンにおいて、小柄だった越はコースや道具の研究を重ねてハンデを埋めた。当時はまだ海外選手の強化がそこまで進んでいなかったこともあり、ソルトレイクシティでのメダル獲得を視界に捉えていたが......。

 競技当日、私がホテルを出ると、前日までの快晴がウソのように雪が降っていた。大会前、越と「あと心配なのは雪だけだね」と言っていたことが現実になってしまった。

 会場に着くと、水分を多く含んだ雪がコースに積もっていた。ただでさえ体重の軽い越のソリはスピードに乗り切れず、結果は8位。日本人選手として30年ぶりとなる同競技の入賞は果たしたが、メダル獲得のチャンスを逃してしまった。

 競技が終わった後でインタビューに答えてくれた越は、苦笑いを浮かべてこうつぶやいた。

「なんで今日の、しかもスケルトンのレースに限ってって感じですよ」

 ちなみに、大会期間中に雪が降ったのはその1日だけ。越が肩を落とす背後では、雪がやみ、雲ひとつない青空の下でボブスレーが行なわれていた。

(トリノ五輪に続く)

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