冬季オリンピック史に残る「不可解な判定」。日本を襲った不運の連鎖 (2ページ目)
さらに、欧州ではスキージャンプの人気が上がり、大会が増えてスポンサーがつくなど、ビジネスとして成立するようになったことで海外選手たちの目の色が変わった。体重をしっかり調整し、規定により厚さが薄くなったジャンプスーツに特殊なスプレーをかけて通気量を少なくするといった工夫もするようになる中で、日本は最新の流れに置いていかれる形になった。
さまざまなことに日本人選手は頭を悩ませていたのだろう。五輪に向けてコンディションをピークに持っていくことはできていたが、最初のノーマルヒル個人で葛西紀明が転倒するなど波に乗れず、ラージヒル個人で船木和喜が7位に入ったのが精一杯。団体戦も5位に終わった。
自国選手のメダル獲得の報が届かない日本のメディアでは、ショートトラック男子1000mの決勝レースの映像が繰り返し流れることになったレースだ。
決勝に残った5人のうち4人が転倒し、スタートから大きく引き離されていたオーストラリアのスティーブン・ブラッドバリーだけが難を逃れ、悠々とゴールラインを通過。"世界で一番幸運な金メダル"と大きな話題となった。
ブラッドバリーは準々決勝、準決勝でも上位選手の転倒に救われていたが、準決勝で悲劇に見舞われていたのが、日本の寺尾悟だった。
そのレースは、長野五輪の金メダリスト金東聖(韓国)と同銀メダリストの李佳軍(中国)がトップを争う展開になる。しかし、残り半周となったところで金が転倒し、最終コーナーで2番手だったカナダのマシュー・ターコットが李を巻き込んで転倒した。4位につけていた寺尾は準決勝をトップでゴールし、決勝進出を決めたかに思われた。
しかしレース後、ターコットを後ろから押したとして、寺尾に失格の判定が下されたのだ。寺尾が前の3人に触れていないことは明らかで、誰の目から見ても"不可解な判定"だったが、それが覆ることはなかった。
結局、同レースで2位だったブラッドリー、李、ターコットの3人が決勝に進んだ。ソルトレイクでは1500mの決勝でも同様の判定があり、2006年トリノ五輪からビデオ判定が導入されることになる。寺尾は2006年のトリノ五輪にも出場し、2010年のバンクーバー五輪への出場がかなわなかったところで引退。34歳まで現役を続けた"第一人者"は、最後まで五輪のメダルだけには恵まれなかった。
2 / 3