冬季五輪の回想。あの失敗ジャンプ後、原田雅彦は力なく笑っていた (4ページ目)

  • photo by Kyodo News

 リレハンメルは、長野五輪に向けて若手たちが実力を示した大会でもあった。

 当時18歳の里谷多英がモーグルで11位に入り、大学生だった清水宏保もスピードスケート500mで5位の成績を残して4年後の金メダルにつなげている。特に清水は、目の前で堀井学が銅を獲ったことが、長野でのメダル獲得に向けていい目標になっただろう。

 ダークホース的存在だった堀井がメダルを獲得できた背景には、スピードスケート界のトップ選手だったアメリカのダン・ジャンセンの失敗があった。彼はそれまで3度五輪に出場し、常に優勝候補に挙げられながらもう一歩のところでメダルを逃し続け、「悲運のスケーター」とも呼ばれていた選手だ。

 28歳と年齢を重ね、そのシーズンのW杯で5勝して迎えたリレハンメルでも、500mでは最終コーナーで手をつき、8位に終わってしまう。

 私は「これで日本人にもチャンスが出てきた」と思った半面、同時に「ダン・ジャンセンほどの選手がメダルに嫌われたまま終わるのか」と複雑な気持ちにもなった。それは他の観客たちも同じ思いでいたようで、最後の最後に1000mで彼が念願の金メダルを獲得した際には、会場中が祝福していた。その光景は、この大会で一番の感動的なシーンとして記憶している。

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