2018.02.02

冬季五輪の回想。あの失敗ジャンプ後、
原田雅彦は力なく笑っていた

  • photo by Kyodo News

短期連載・五輪記者オリヤマの追憶 リレハンメル(1994年)

 私が初めて取材に訪れた冬季五輪は、1994年2月にノルウェーで開催されたリレハンメル五輪だった。それまで、夏冬同じ年に行なわれていた五輪が2年ごとの隔年開催となり、前回大会のアルベールビル(フランス)五輪からわずか2年後に行なわれた大会だ。

スキージャンプ団体の2本目が失敗ジャンプになり、うずくまる原田雅彦

 ノルディックスキー発祥の北欧の地で、日本人選手がほぼ確実にメダルを獲るだろうと目されていたのが、ノルディック複合だった。1990年代に入り、世界に先駆けてV字ジャンプに対応した日本人選手たちは、前半のジャンプの飛距離で他国勢を大きく引き離す戦い方でアルベールビル五輪の団体で金メダルを獲得。

 リレハンメルでも代表となった阿部雅司、河野孝典、荻原健司はW杯の個人総合上位をキープして本番を迎え、団体では2大会連続で表彰台の頂点に上ることになった。
 
 私はその団体戦の前に行なわれた個人戦でも、W杯や世界選手権で連勝街道をひた走り、「キング・オブ・スキー」の異名をとっていた荻原が金メダルを獲ることは当たり前だと思っていた。しかし、気まぐれな風が荻原のジャンプを大きく狂わせることになる。

 当時はまだ、V字ジャンプが風の影響で飛距離に大きく差が出ることが十分に認識されておらず、大会側も追い風が収まるのを待ってイコールコンディションにする対応をとっていなかった。不運なことに、荻原の時だけ追い風が強く吹き、見ていた私も「ウソでしょ」と思うほどに飛距離が伸びず、6位と大きく出遅れてしまう。

 荻原は、後半のクロスカントリーではそこまで抜きん出た力があったわけではない。それでも上位を追う気迫の走りを見せたが、あと一歩メダルに届かず4位。その後も長らく第一線で戦い続けたが、4年後の長野でも個人4位、8年後のソルトレイクでは個人11位に終わっている。W杯で通算19勝を誇る荻原ほどの選手が、五輪では個人のメダルを獲得することなく引退を迎えることになった。