明治11年以来、初めて関取が消えた高砂部屋。幕下力士たちの思いは? (4ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by Kyodo News

 だが、そんな朝赤龍も昨年の九州場所・千秋楽で11敗目を喫し、その時点で関取が途絶えることが決定的となった。勝負に「もしも」は禁物だが、千秋楽で朝赤龍が勝っていたら、もしくは、同日に幕下で勝ち越しを決めた朝弁慶がもうひとつ白星を積み上げていたら、関取が途絶えることはなかっただろう。

 それだけに、朝弁慶は「一日一番の重みをいやというほど思い知らされました」と決意を新たにしている。幕下時代は「自分のことで精いっぱい」だったが、一度十両に上がったことで周囲からの支援や期待が大きくなり、あらためて高砂部屋の伝統を感じたという。だからこそ、「関取がずっといる部屋の伝統、看板を守らなくてはいけないという気持ちで取っていました。でも、自分があと一番、届かなかったばかりに部屋の歴史を消してしまい、申し訳なさと自分の情けなさでいっぱいです」と唇を噛みしめた。

 師匠からは、「これからどうするかは自分で考えろ」と言われたという。その言葉には、強くなるのもそうでなくなるのも自分次第、という意味が込められていた。師匠からの宿題を胸に秘め、朝弁慶は「自分自身に厳しくなって、関取に戻って新しい歴史を築きたい」と意気込む。

 幸い、新たな歴史を築く土台は整っている。今場所は朝赤龍と朝弁慶、さらに、昨年初場所に三段目付け出し制度で入門した近大出身の玉木と石橋の4人が幕下上位に名を連ねている。朝赤龍と朝弁慶は勝ち越せば再十両の可能性が高まる。さらに、石橋と玉木は7戦全勝なら新十両昇進が確実な地位だ。

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